茶トラのたぬき

小学生の頃から時々作文を褒められました。それを思い出して時々書いています。

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最近の記事

義母の認知症と夫の対峙~義母と茶道

茶道おもてなしの極意、それが茶道だと私は勝手に思っている。 茶道、それは季節、道具、準備この全てを網羅しなくてはいけないものなのだ。 義母は義父と結婚する前から茶道を習っていたそうだ(昔は何かしらの芸事をならう事が普通だったそう)。 ここで夫の祖母、義母の義母についての話。 祖母は結婚したものの、祖父の対応には何かと苦労したと聞いている。その罪償いか、祖父は祖母にお茶室をプレゼントし、京都の本家(流派のトップ)へ通い稽古もさせていたそうだ。 その影響で祖母のもとへは近所か

    • 義母の認知症と夫の対峙~認定調査と結果

      私のしたくもない苦労のお陰で、義母の認定調査は見事に申請された。 本当に私がんばったね❗ 認定調査は包括支援センターの担当者と市役所の認定調査の担当者の2名が来訪予定だ。 義母へは私から「今、65歳以上の世帯を順番で回っているそうで今度家にも来るみたいです。家族構成やどの様な生活をされるかを視察に来るそうです。面倒ですよね~」 と伝えておいた。 こういった話術は、介護ブロガー先輩方のお知恵をありがたく使わせて頂いている。 インターネット時代、本当に感謝感激。 そして認

      • 義母の認知症と夫の対峙~遂に認定調査

        義母と夫を担当医に密告してから2週間程が過ぎた。 義母の定期検診の日、いつもの様に義母と夫は意味のない通院へ向かった。 帰ってきた夫が私にこう言った。 「先生から認定調査と包括支援センターを紹介された。」 院長仕事が早い! こうして包括支援センターへ夫と行くことになった。 事前に包括支援センターへは私が丸々家庭事情を伝えていた事が項をなし、担当者が夫へ「病院からうち(包括支援センター)を紹介されたという事は、認定調査が必要だからと診断されたのだと思いますよ?」と畳み

        • 義母の認知症と夫の対峙~病んでないけど診療科

          市役所の高齢課の看護師さんからの薦めで私は義母が認知症で通っているクリニックへ「患者」として潜入することにした。 電話で新規予約をして2週間程待ち、遂にクリニックへ。 初診なので初診表への記入。 「家庭内でのトラブルが原因で受診」と記入。 待合室では丁度WBCの決勝戦がTVで流れていた。 受付の看護師さんや多くの患者さん達と優勝の瞬間を拝見することができた。 名前を呼ばれて診察室へ。 担当の医師に恐る恐る事情を伝えてみた。 すると 「それは大変でしたね。何か義母さん

        義母の認知症と夫の対峙~義母と茶道

          義母の認知症と夫の対峙~私の本気

          夫が義母の病院へ付き添い始めて6ヶ月経った頃。私のストレスは限界突破した。 そこで我慢できなくなり、まずは包括支援センターへ電話&直接相談をした。 結果としては、ただただストレスが増えただけだった。 一番酷い時のエピソードがある。 担当の方が不在だったが、どうしても話を聞いてほしかった。私は「夫が病院に義母の進行状況を話してくれない」「病院付き添いを私に行かせてくれない」事をどうしたら良いのか伝えた。 その時のスタッフの返答は「仮にお義母さんが介護保険つかえるとなったら、

          義母の認知症と夫の対峙~私の本気

          義母の認知症と夫の対峙~義母と茶道

          義母は結婚してすぐにこの家へ来た。 姑、義理妹、姑の姉妹や叔母等入り混じる環境に23歳で越してきて、24歳・26歳で可愛い長男・次男を出産。 そこから自宅と家族の世話をし続けてきた。 私にはできない。というかそんな環境へ行かないし、私なんか誰も誘わないだろう。 義母の姑(夫の祖母)は茶道を自宅で教えていた。その流れで義母も姑にお茶を教わり、その教室を引き継いだ。 じつは現在も続けている。 少し話は逸れるが、茶道は本当に「奥が深い」という言葉より「やることたくさん」なのだ。

          義母の認知症と夫の対峙~義母と茶道

          義母の認知症と夫の対峙~通院と苛立ち

          私の素晴らしいサポートのお陰で義母の物忘れと夫が対面する事に大成功した。 しかし、ここからの問題が生じる。 夫は1ヶ月半に一回の通院に付き添うことを自分で決めたのだが、本当にただ着いていくだけ。 小さい子どもが、一人で留守番できないからと母親の病院に着いていく状態そのものだった。 通院が始まり、三回目かの診察で「ドネペジル」という認知症の症状を遅らせる効果のある薬を処方され始めたが 夫は「何か薬出されていたよ。」 「(いつ、何錠飲むかは)お袋が知ってるよ」 「(次の通院

          義母の認知症と夫の対峙~通院と苛立ち

          義母の認知症と夫の対峙~遂にご対峙

          自ら認知所の病院予約をした義母。 私と顔を合わせる度に 「そうだ、病院予約したのよ」 「言ったっけ?病院予約できたの」 「〇日の△時からよ」 「◇日に病院予約したの。」 と私に言い続けていた。 *日にちは聞くたびに違っていたが、大体この辺だなと目星はついていた。 更に「場所がね、ちょっと行った事ないから・・・」 「あんな場所に病院あったかしら?」 「△△医院が引っ越したのよね」←全く違う。 等というので「途中まで一緒に行きます?」と言ってみるが 「一人で行けるわよ~(馬鹿に

          義母の認知症と夫の対峙~遂にご対峙

          義母の認知症と夫の現実対峙

          前回書いた義母の「これから出かけるの?」発言をきっかけに「これは絶対に何かがヤバい」と感じた私は一人孤独な調査を始めた。 と言ってもやる事は殆どなく、たまに交わす義母との会話を注意深く聞く位だった。 私の仕事上「医療や専門機関に繋げる場合はかな~り慎重に行う」がかなり生かされる場面だぞ!と自分を励まして約7か月。その時は来た・・・・。 その日、庭で私は自分のイチゴの苗や蓮や虫たちを眺めたり弄っていた。 そこへ自治会のお当番になった方が「すみませ~ん」と来られた。 お当番

          義母の認知症と夫の現実対峙

          義母の認知症と夫の現実対峙

          2年前から昼間自宅に居る時間が増えた。それに伴い敷地内別居の義母と話す機会が増えた。  義母とは正直長い時間話していたくない。過去に「悪気無く」嫌な事を言われ続けたりされてきた事が原因だ。 今思うと「世間知らず故」と思いなんとか怒りは抑えている感じ。  その義母が明らかにマズいと感じたエピソードを書く。 2年前、私は母方の祖父の納骨の為2泊3日で家を空けた。出発する日に義母宅を尋ねたが留守だった。なので道中私はsmsで「今日から両親と祖父の納骨へ行きます〇日に帰ってきます。

          義母の認知症と夫の現実対峙

          確信をもつ事

          最近私は「手放すことで得るものがある」という考えに行き着いた。これは大きな発見だ。しかし数か月前の私にはこの意味は理解できなかった。そして自分の味方は同じ思考と勘違いしていた事にも気づいた。この10年がむしゃらに働いてきた。とても楽しかったし良い時間だった。ただ気持ちや生活には余裕のない期間ではあった。これまでの自分に十分感謝したい。そしてこれから始まる新しい生活を楽しみにしている。良いことだと思う。

          引き留める人たち

          退職を(職場関係の)人たちに伝えると多くの「辞めないで。」「何で辞めちゃうの?」「もったいない」が返ってくる。 半年前の私はそれを糧に生きていた。というか今までの職務はそれを聞くことで自分の必要性を実感していた。それでしか実感できなかったのだと思う。 今回自分の処遇が辛いものになり、それを見知った周囲からは「辞めないでね。」という言葉をたくさん掛けられた。しかし「自分がこの立場になったらどうします?辞めずに頑張る?」と(やんわりと表現変えて)聞き返すと皆「あ~・・・」という

          引き留める人たち

          前向きとは

          ついに退職を決めた。そして上層部にその旨を伝えた。引き留める言葉は全くなく「上層部で共有して連絡します」とのことだった。現在会社は決算的な繁忙期。左遷社員に割く時間はできるだけ避けたい所だろう。 さて、退職を決意した私はとても気持ちが軽くなった。驚くほどに前向きになっている。本来であれば次の就職探しにソワソワしてしまう所だが「頭の整理ができる・・・そして今まで仕事に重点をおいてできていなかった家のメンテナンスをしよう」等と退職が楽しみになっている。大丈夫。これでいい。それが

          投稿してみたものの

          ずっと下書き保存して熟成するのを待とうと思っていたが、腐っておわりな気がしてとりあえず投稿ボタンをおしてみた。身バレにビビりながらも、今の自分の気持ちを発散する場所が欲しい!この気持ちが高まりさっき処罰について投稿してみた。  日替わりでの異なる部署勤務はHSP気質の私には一番堪えると今回の件ではっきりと理解した。今まで勤めていた中で、もちろん人事異動はあった。当然心がざわつく日々が続くけれど、それも最初だけ。「住めば都」とはよく言ったもので、毎日同じ場所、顔触れはかなりの

          投稿してみたものの

          処罰

          初めての投稿のタイトルにはふさわしくない。さらにSNSでの投稿も身バレしそうで怖いよ。でも書く。 色々とあり、現在8年近く所属している会社で処罰を受けている。とてもキツイしとても腹立たしい。処罰受けて今までいた部署から外されて毎日日替わりで各部署のヘルプ要員として働く日々。何でこんな事しなくちゃいけないのよ。こんな環境の中、辞めずに踏ん張れているのは同期や同世代の仲間のおかげ。というか彼らも私と一緒に処罰受けているのだけど。だからこそ励ましあって日替わり弁当よろしく日替わり部