義母の認知症と夫の対峙~義母と茶道

茶道

おもてなしの極意、それが茶道だと私は勝手に思っている。
茶道、それは季節、道具、準備この全てを網羅しなくてはいけないものなのだ。

義母は義父と結婚する前から茶道を習っていたそうだ(昔は何かしらの芸事をならう事が普通だったそう)。

ここで夫の祖母、義母の義母についての話。
祖母は結婚したものの、祖父の対応には何かと苦労したと聞いている。その罪償いか、祖父は祖母にお茶室をプレゼントし、京都の本家(流派のトップ)へ通い稽古もさせていたそうだ。
その影響で祖母のもとへは近所から多くの生徒さんが長い期間集っていたそうだ。

そんな中に結婚して入ってきた義母、かなりの苦労というか苦痛を味わってきたそうだ。

義母は今でも細々とお稽古をしている。月に1回習いにも行っているし、月に3回ほど来てくれる数少ない生徒さんたち(事情は全て理解した上で来て頂いている)とのふれあいが唯一の外との繋がり。

そんな祖母の代から続いたお茶室、道具が我が家にはたくさんある。

その道具たちこそ、今私の悩みの種どころか二葉から新芽へとグングン成長している。

お茶の道具は大体箱に入っている。その箱はその道具に合わして作られている。
茶碗は窯元、焼き物の種類等が箱(大体が桐ね)に書かれている。
それも達筆でね・・・

この箱の字はまだ読める。ちなみに香合(こうごう)という道具です。

この道具と箱、場合によっては包んである布が現在バラバラになり始めているのだ。

重ねられた茶碗たち(本来は欠けてしまうので絶対にダメ)、達筆で何が入っていたか分からない桐の箱が増え始めている。

もし今後、この道具たちを売ったり人に譲る時が来た時、一気に価値が下がってしまうのだ。

この超難解な神経衰弱を私は一人解読し始めている。
 かつては夫に話し「義母も入れて三人で整理しよう!」とトライしてみたのだが・・・

義母は「勝手にいじられたから道具がなくなった」「私は自分が分かるようにしていたのに、あの子(夫)が全部バラバラにしたから、もうどこに何があるか分からなくなっちゃった。」と暫く自分のもの忘れを私たちのせいにしていた。

義母にとって茶道は聖域で、自分の中の誉れ高き一部なのだと思う。
しかしアルツハイマー型認知症とは残酷で、季節感を奪っていく。

茶道は一か月ごとの季節に使う道具が変化していく。

例えば
1月は南天 2月は梅、水仙
3月は菜の花、ふきのとう 4月は桜
5月は菖蒲 6月は雨、傘
7月は蟹 8月は蝉
9月はススキ 10月は菊
11月は椿 12月は南天、千両、万両

ネットで結構調べてしまったが、ほんの一例でも大変なのが分かる。

季節感を失い始めている義母は6月に「もう夏終わっちゃったけどね、この道具出してみたの」と言ったり、10月に雨が続いた時は「まだ梅雨明けないのよね」と言っている。

義母については感傷的な気持ちはあるが、そんな事を言ってられないのだ。

私には時間が経つごとに増えていく神経衰弱との戦いが始まっているのだから・・・

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