暇な雨

危うい29歳

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最近の記事

矛と盾

「三十路 女 独身」私の属性キーワード。 Twitterのアルゴリズムは私の属性を見透かし、おすすめの投稿を表示してくれる。最近はこんな感じだ。 どうやらとにかく、私こと三十路独身女は強くならないといけないらしい。 バズる沢尻エリカ様の強いメンタル論 他人の言うことに流されず、強気でいこうよといった精神論。このような精神論は、自分のメンタルを維持するためのみならず、自身の主義主張や、自身自身の身を守ってくれる。良い手段としてある。 まさに矛(ほこ)と盾(たて)でいう

    • 29歳、今だに人生のターニングポイントが無い。

      29歳、今だに人生のターニングポイントが無い。 将来何者かになって「人生のターニングポイントは?」なんてインタビュアーに聞かれた時は「私の人生のターニングポイントは〜」と雄弁に語るものと思っていたせいか、いつからか人生のターニングポイントを探す癖がついた。 何かある度に「あぁこれが、私が待っていたポイントだ!」と、今日までの何にもない人生に明るくさよならを告げて、明日からの素晴らしい人生に初めましてと挨拶する。 こんな風にいつも虎視眈々と人生のターニングポイントに目を光

      • やる気がない自分を肯定する今日の方策

        やらなきゃいけないことがあるのに先延ばしにしたり、頑張らなきゃいけない時にやる気が出なかったり、夕方は朝よりも生きることに少しだるさを感じたり。 いつだって、こんな自分が嫌になる。 「なんでこんなに弱いんだろう。」と。 そう思っておきながら、性格の悪さで自分を嫌だなんてどうしても思いたくない節があるから、今日は、「仕方ない、人間なんだから!」と思ってみた。 この体は所詮、欠陥だらけの人間という生物。AIが作り出す誰かでもアニメの中の完全無欠な完璧人間でもない。脆弱な部分

        • 「〜のように」が私に重くのしかかる

          小説を読んでいても、専門書を読んでいても、簡単なTwitterの文言にも、「〜のように」が頻出する。 「アクリル絵の具で描かれたべったりとした空のように〜」「粗雑な愛を見つけた青春時代のように〜」とか。 この「〜のように」が私に重くのしかかる。 〜のようにとは、例示表現であって、何か著者の言いたいことを著者が分かりやすいように、異なった言い方をしてくれるものである。 つまりそれは、著者の言いたいことを翻訳してくれる文言で、私は著者と私を繋ぐ架け橋。 「〜のよう」にが

          どこでもドアで好きな感情に連れて行ってほしい

          この前、冷蔵庫の上に放置してしまっていたネギに花が咲いた。 ズボラな過去の私が、買い物したネギをそのまま冷蔵庫の上に放置してしまっていた。 そしたら私の気づかないうちに綺麗な花を咲かしていたのだ。ネギ坊主というらしい。 「美しい」と感じた。 小さいながらも十分な華やかさを持っていて立派に咲いていた。突然、目に入ったその魅力的な物体にとても美しさを感じた。 何かに美しいと感じることは別に大した感性でなくて(大した感性があるのか知らないが)、色んなもの、ひと、ことに感じるこ

          どこでもドアで好きな感情に連れて行ってほしい

          ハッピー精神のフワちゃんを今日少し好きになった

          目的としてその行動を取るのは嫌だけど、手段としては良いということってある。 例えば、 社交的なイベントに参加する(目的)のは面倒だけど、新しいビジネスチャンスを見つけるため(手段)には有効である、とか。 刑務所に入る(目的)のは絶対に嫌だけど、規則正しい生活、3食確約された食事を摂るため(手段)には適正である、とか。 これらはその行動を目的にすること自体は望ましくないけれど、何かの手段としてその行動を取ることには利益があるということだ。 私はネガティブで考えすぎな性格で

          ハッピー精神のフワちゃんを今日少し好きになった

          やる気があるから何もしない

          やる気がないから何もできないのに、 何かをすればやる気が起きる 30年近く生きてきたのに、毎回毎回このことを忘れてしまう。 やる気がないから何も手につかなくて、それで自分が嫌になって。 仕方ないなとえいやーと重い腰を上げて何かをしたら、だんだんやる気が起きてくる。あぁやってみたら案外やる気出てきたなって気づく。 いつも新鮮に、初めて気づいたような嬉しさを伴う。 そして、すぐに忘れている。この繰り返し。 そう気づいて、心に余裕がある時は、 やる気が原動力になってはいけな

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          プライベートを犠牲にするアイドル

          私はアイドル曲が好きでよく聞くが、アイドルというのは、アーティストでも、芸術家でもない、不思議な存在である。 私はその不思議さを、何を犠牲にするまでの夢を追い求める奇妙な姿に見出せると思う。 「アイドルになるために何かを犠牲にする」 アイドルでいるためには、恋愛、遊びといったプライベートは犠牲にして、アイドルになるという「夢」を追い続ける存在であることが求められる。 そしてファンは、その姿を応援する。 よくよく考えると、アイドルになることとプライベートを捨てることは全

          プライベートを犠牲にするアイドル

          生きているだけで偉いというけれど

          「生きているだけで偉い」とよく聞くが誰が言い出したのだろう。 誰がとは思い出せないが、SNS上でも日常会話でも、何回も聞いたことがある表現であるし、考え方である。 みんな簡単に使う言葉である。 これって実際どうなのか? 生きているだけで偉いという言葉は、生きる / 死ぬ という生命の2択と、 偉い / 偉くない という評価の2択を含む、2軸から成り立つ言葉である。2種類の選択を持つ2軸であるから、パターンは4つになる。 1)生きているだけで偉い 2)生きているだけで偉

          生きているだけで偉いというけれど

          アイドルオタクでもないのにアイドル曲を聴く

          今日も疲れた時に、ふぅっと休憩したい時、好きなアイドルの曲を聴いた。 私は、それなりにアイドルが好きである。コンサートに足を運んだり、CDを購入したり、握手会に行ったり、そんなことはしない。 だけど、アイドルの音楽を聴いて、MVを見て、「あぁ可愛いなぁ、かっこいいなぁ」と十分に感じることができていると思う。 本来、アイドルとはファン(オタク)ありきの存在であり、そこに成り立つ商売がある。ファンのためのコンテンツを作り、ファンはそれをありがたく享受する。 アイドルとファン

          アイドルオタクでもないのにアイドル曲を聴く

          女友達のシェアハウス生活

          私にはインスタのフォロワーは1,000人くらいの少し陽キャで友達付き合いの良い女友達がいる。 そんな女友達(27歳)が、最近、同い年の仲の良い女友達7人と1ヶ月間限定でシェアハウスをしたようだ。きっとそれぞれパートナーがいたり、他の事情があった上で、最適解の1ヶ月間。 先日そのシェアハウスが終了した。 インスタのストーリーに「楽しかった」とその様子上げて終了をお知らせしていた。 楽しかったとあげるストーリーを見て、感傷的な気持ちになった。 きっと、私には一生経験できな

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