プライベートを犠牲にするアイドル

私はアイドル曲が好きでよく聞くが、アイドルというのは、アーティストでも、芸術家でもない、不思議な存在である。

私はその不思議さを、何を犠牲にするまでの夢を追い求める奇妙な姿に見出せると思う。


「アイドルになるために何かを犠牲にする」

アイドルでいるためには、恋愛、遊びといったプライベートは犠牲にして、アイドルになるという「夢」を追い続ける存在であることが求められる。
そしてファンは、その姿を応援する。

よくよく考えると、アイドルになることとプライベートを捨てることは全くの別物なのに、アイドル業界ではこの矛盾した論理にも気づかない。

アイドル業務をよりよく遂行するにあたって、プライベートをいくつ犠牲にするかは全く相関はないにも関わらず、ファンも時にはアイドル自身も、アイドルを全うするために恋愛はしないって答えに行き着く。

この、変さにアイドルの本質が含まれている。

アイドルとは、何かを犠牲にする姿、何かを犠牲にしてまで夢を追いたいという姿が、アイドルの本質的な魅力に繋がるのだ。

知ってか知らずか、アイドルたちは、夢、夢、夢。と自らがなりたくてアイドルになったということを、饒舌に強調する。

そう言わなければ、何かを犠牲にまでして行う仕事する姿に、全くの魅力が生まれないから。


(ジャニーズは別。親に履歴書を送ってもらってジャニーズに入ったというような、アイドルになりたくないのになってしまったことに魅力を感じさせるジャニーズならではの変さが確立されている)

犠牲にする姿をより輝かせるために、夢を追い、
夢を追う姿をより輝かせるために何かを犠牲にする。

この姿に、ファンは心打たれる。

「夢のために偉い!応援する」と純粋にその姿を追うファンもいれば、
夢のために何かを犠牲にする虚しさに慈悲の心を感じ応援するファンもいる。健気で多少の不器用な幼稚さに魅力を感じるファンもいる。

夢と犠牲のバランスを程よくアピールできるアイドルが売れているのだ。

恋愛してでも良いから隠し通せ!というファンは、夢を追う好き姿をよりかがかせるために、何かを犠牲にするパフォーマンスをとれと言ってる様なもんで、それはそれで気持ち悪い。



結論、
アイドルのファンでいること、そしてアイドルを応援するという背景には、
アイドルが夢を追う姿と、アイドルが夢を追うために何かを犠牲にする姿、2つを無意識に応援していることを、忘れない方が良い。



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