やる気がない自分を肯定する今日の方策

やらなきゃいけないことがあるのに先延ばしにしたり、頑張らなきゃいけない時にやる気が出なかったり、夕方は朝よりも生きることに少しだるさを感じたり。

いつだって、こんな自分が嫌になる。
「なんでこんなに弱いんだろう。」と。

そう思っておきながら、性格の悪さで自分を嫌だなんてどうしても思いたくない節があるから、今日は、「仕方ない、人間なんだから!」と思ってみた。

この体は所詮、欠陥だらけの人間という生物。AIが作り出す誰かでもアニメの中の完全無欠な完璧人間でもない。脆弱な部分を持つ、人間。だから、仕方がないのだと。

そう思った瞬間から、心が軽く感じた。
軽くなった容量分、身体に余白ができたようで、その余白を補うように深く長い呼吸ができた。

自分自身だと思っていた肉体の根源は人間という物質であって、私ではない。客観的に自分自身の物質的な肉体を見ることができた。
この顔も、足も、今伸ばした右手も、全て、人間という箱の要素。

肉体と精神の乖離を深く感じることで、すーっと、身体が私から遠ざかる気がした。

人間という箱に入れられた精神という私。
人間という自分ではない箱のお陰で、自分の肉体の責任を放棄することができたようにも感じた。他責思考はいつだって、楽だ。


精神と肉体の分離については、すでに著名な哲学家が語っている。近代哲学の父、フランスの哲学家、デカルトである。

デカルトの心身二元論(Cartesian Dualism)は世界を二つに分けることでき、それは精神(心)と物質(身体)であるという哲学的思想である。


まさに、今日思った通りである。

もしかすると、デカルトもプライドが高い面倒くさがり屋さんだったのかもな。
心身二元論はそんな自分を守る方策だったのかも。

「あぁ、今日もやる気が出ない。よし、物質(肉体)のせいにしちゃおうっと」みたいに。

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