女友達のシェアハウス生活

私にはインスタのフォロワーは1,000人くらいの少し陽キャで友達付き合いの良い女友達がいる。

そんな女友達(27歳)が、最近、同い年の仲の良い女友達7人と1ヶ月間限定でシェアハウスをしたようだ。きっとそれぞれパートナーがいたり、他の事情があった上で、最適解の1ヶ月間。


先日そのシェアハウスが終了した。
インスタのストーリーに「楽しかった」とその様子上げて終了をお知らせしていた。

楽しかったとあげるストーリーを見て、感傷的な気持ちになった。

きっと、私には一生経験できない、青春がありありと感じられるからというのもある。

青春や楽しかった過去の思い出は、思い出にするために行わないことがほとんどである。
彼氏との旅行も友達との喧嘩も、後から思い出すとあれは良い思い出と言えるけど、その時は良い思い出にする気もなく、場合によってはそれが良い思い出になるとも思わないこともある。
きっと、その場所に行くことが目的とか、自分の意思を通すことが目的とか、色々。

でも、今回の友人のシェアハウスは、始める時から「良い思い出になる」「良い思い出にする」「これが青春なんだ」と皆が思っていて始めたことだ。
予定調和の青春なのである。

それって、純粋の青春なのか?と思うが、予定調和の青春なんてやろうと思ってできることではない。

「青春」を行いたい、行わないといけないという意思の元、やり遂げた青春。

青春に焦がれる27歳の女性たち。
きっとそこには若さとの永遠の別れを告げる儀式的な要素もあったと思う。
だとすれば、きっと少し寂しい気持ちもあるだろう。シェアハウスが終わるということは、若い自分ともお別れ。

もう若くはない、若いままではいられないと悟るからこそ、行う彼女たち。
その虚しさに気づいても蓋をした時があると思うと、なんとも言えない感情になる

それが終わってしまった今、きっと寂しさを感じているだろう。

女性たちのそれぞれの人生の覚悟をちょっぴり覗き見できたような感じがした。よかった。

少し大人になった、なってしまった彼女たち。
覚悟と夢と、過去と未来、青春と大人に綺麗な線引き引ける彼女たち。

大人になってしまった彼女たちを、誰でもない私が、
心の中でそっとエールを込めて送り出す。

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