どこでもドアで好きな感情に連れて行ってほしい


この前、冷蔵庫の上に放置してしまっていたネギに花が咲いた。
ズボラな過去の私が、買い物したネギをそのまま冷蔵庫の上に放置してしまっていた。
そしたら私の気づかないうちに綺麗な花を咲かしていたのだ。ネギ坊主というらしい。

「美しい」と感じた。

小さいながらも十分な華やかさを持っていて立派に咲いていた。突然、目に入ったその魅力的な物体にとても美しさを感じた。

何かに美しいと感じることは別に大した感性でなくて(大した感性があるのか知らないが)、色んなもの、ひと、ことに感じることができる。

私はできれば毎日にでも何かに美しいと感じていたい。

ただ、それはなかなか難しい。

確かに美しいという感性は自分で感じる自分の感性で、自分自身の所有物であるのに、それを引き出すには、自分一人では難しい。


絵画を見て美しいと感じるなら、対象物となる絵画が必要であるし、誰かを見て美しいと感じるなら、対象物となる人物が必要である。

そう考えると、美しさという感性は確実に対象物に依存しているように感じるし、対象物が用意できない場合は、自分の感性すら自分自身で引き出すことができないのかなと思う。

美しいという感性があるのに、自分では引き出せない。
そう思うと、美しいという感性の前に少しだけ無力さも感じる。

好きな時に好きなだけ、美しいという感性を引き出せたら良いのになぁと思う。

どこでもドアは好きな場所にいつでも行ける。
そんなふうに、自分の好きな感性にいつでも出会えるドアがあったら良いのにな。


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