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ピアノ変生曲第1番~全く上達しない~

これは、ピアノを習っている間全く上達しなかった私がやめてから上達した物語です。

ピアノ変生曲と題して第1番と第2番の2部構成で書いています。

第1番は、ピアノを習っていても全く上達しない私

第2番は、ピアノをやめて自ら弾くようになって上達した私

ちょっと長いですが、読んでいただけるとうれしいです。

子どもにはうまく伝えられない何かがあるんです。


私は5歳から12歳まで週1でピアノ教室に通っていました。

先生は50代くらいのおじさんで、わたしの家から10km離れたところにある自宅でピアノを教えていました。

🔵ネコふんじゃったの日々

5歳になっていたかどうか、記憶は曖昧ですが、突然家にピアノが来ました。

スタンドピアノでKAWAIと艶のある金色で書かれていました。

私に買ってくれたピアノでしたが、私のレパートリーは母が教えてくれた

“ネコふんじゃった“のみ。

うれしくて毎日“ネコふんじゃった”を弾いていました。

だけど、子ども心に「これだけじゃ何だかね」と物足りなさを感じていたんです。

でも、周りにピアノを習っている友達がいないし、母は他の曲を教えてくれるわけではないし、レパートリーはずっと変わらずのまま。

そんなある日、母に連れられて小学校の体育館で開催されたピアノコンサートに行きました。

ピアノは男の人が弾いていて母は私に言いました。

「あの先生のところに行ってピアノを習うのよ。すごい先生なのよ。」

遠目だったので男の人ということしかわかりませんでしたが、

『すごい先生に習うんだ。ピアノが弾けるようになるんだ。』

習うと聞いて、ワクワクしていました。

でも母はすぐに先生のところに連れて行ってくれませんでした。

理由はわかりませんが、そのまま“ネコふんじゃった”を弾いて過ごす日が続きました。

習わないのかな?

そう思っていたら、母が先生のところに行くと言い、ついにピアノを習う日がやってきました。


🔵先生なんか違う

30分くらいバスに乗って、バス停から長い坂道を10分くらい登って、まだまだ続くその坂の途中に先生の家はありました。

先生の奥さんが玄関に出迎えてくれ、応接室のような部屋に通されると、グランドピアノがどーんと置いてありました。

初めてみるグランドピアノは大きくて立派で威圧感半端ない。

うわー!このピアノ弾けるんだ!すごーい!

騒がず大人しく、一人密かに感動していると、先生がニコニコしながらやってきました。
母は先生に丁寧にあいさつをし、私も「こんにちは」を言ってソファーに掛けました。

先生は5歳の私にはおじいさんに見えて、優しそうだけど、何だかつまらなく感じます。

でも、あのピアノが弾けるんだからいいか。

先生はそんなことは知る由もなく、大きな画用紙に書いたト音記号付きの五線譜におはじきを置いて「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の場所を丁寧に繰り返し教えてくれました。

私はピアノを弾くために全集中で覚え、結構簡単にクリア。

よし、次はピアノ弾ける!

すると、ソフトボールを出してきて、私に握らせ「この形を覚えておいて。この手の形でピアノを弾くんだよ。」と何度も何度も握っては離し、握っては離しを繰り返しました。

ここもピアノを弾くために全集中。

つまんないけど先生の言うとおり繰り返し。

「じゃあ」
そういうと先生は立ち上がって

よし、ようやくピアノ弾ける!

「このソフトボールを家に持って帰って形を練習してごらん。」

うんうん、持って帰る。
さあ、ピアノ!

最初のレッスンはこれで終わりました。

5歳のことですが、とっても鮮明に覚えています。

だって、すごくがっかりしたんですから!

ピアノ習いに来たのにピアノ弾かせてくれないんだ!!

結局、ピアノを弾かせてくれたのは5回目のレッスンからでした。

2回目は前回の復習とソフトボール握り。
3回目はヘ音記号がついた五線譜でおはじきとソフトボール握り。
4回目は前回の復習とソフトボール握り。

ピアノの練習ってピアノ弾かないんだ。

先生、私が思ってたのとなんか違う。


🔵つまんない教則本「メトードローズ」

5回目のレッスンで初めての教則本をもらいました。

ピンクの横長の教則本「メトードローズ」

でも、この先生はそう簡単にグランドピアノを触らせてはくれません。
まずは、ソファーに座って教則本の楽譜を読みます。

これ読むんだ。つまんない。

4分の4拍子について、手を叩きながら、音符を追います。
声に出して音符を読みます。

つまんないわ、この曲知らんし。
でもピアノ弾くんだから、がまん。

さあ、次はようやくピアノ?
この曲ピアノで弾くと楽しいのかな?

「はい、先生がお手本を弾きます。」
先生のお手本演奏が終わると、

やっとやっと、ピアノの椅子に座ることができました。

白と黒の鍵盤にそっと指を触れて、教則本の音符を追いながら弾くと、家のピアノとは違う鍵盤の重みです。

わぁー、なんだかすごい

だけど、1回弾いて
「ソフトボールの手の形をちゃんとして」と言われて終わり。

「来週までにちゃんと弾けるよう練習してきてください。」

「はい。」

何だか、つまんない。
ピアノで弾いてもつまんなかった。
ソフトボールの手の形、小指をピンって伸ばしたまんまでしんどい。

あ〜、つまんない!

そして、レッスンから帰って“ネコふんじゃった”を何回も弾きました。


🔵〇がもらえない

私の心はピアノのレッスンから遠ざかっていました。

つまんないなぁ

知らない曲面白くないなぁ
何でこれしないといけないの

好きなの弾きたいな

ピアノを弾くのは嫌いじゃない
弾きたい
でもね、これじゃない

だけど、これしないとピアノ弾けるようになれないのかなぁ


子ども心に色々考えていましたが、母から与えられた先生とレッスン以外、ピアノが弾けるようになる方法はわかりませんでした。

他の方法もわからないし、母が習わせたいと思って選んだ先生が嫌だとも、習っている曲はつまんないとも言えず、ろくにも練習をしないまま次のレッスンの日がきました。

そして、レッスンの日

ソフトボールの手の形の練習。
ボールを握って離してを繰り返し、ようやくピアノの椅子に座れました。

でも、弾けません。

たどたどしくしか弾けません。

手の形も崩れます。

「今日は〇をあげられない。来週までに練習しておいで。」

「はい。」

返事をして、ソファーで座って待っている母の顔を見ると、がっかり呆れた表情。

玄関を出ると、
「ちゃんと練習しないとダメでしょ。〇もらえないなんて、恥ずかしい。」

「うん、ごめん」

ピアノつまんない
でもいつか好きな曲弾かせてもらえるかも

色んな淡い期待がありました。


🔵寝てたらしい

5歳から始めたピアノは、病欠以外は真面目に通っていました。

レッスンにはいかないといけないって思っていました。

小学校に入るまでは、母が付き添ってバスに乗り一緒にレッスンも見学していました。

でも、全く前に進まない

〇がもらえず毎回母は私を叱りつけます。

小学生になると1人でバスに乗ってレッスンに行っていました。

未だに、ピアノはろくに弾けませんが、母が与えてくれた先生とピアノレッスンをやらなきゃいけないと思いながら通いました。

小学3年生になると母は車を購入し、またレッスンについてくるようになりました。

そこで母が見たものは、

ピアノの椅子に座ったとたんに、グラグラになり、目を虚ろにする私の姿。

先生が、

「ほら、寝ない!ちゃんと起きて!」

と激を飛ばします。

もちろん〇なんてもらえません。

その日の帰り母が激高したことは言うまでもありません。

「おけいこ見てもらってるのに寝るなんて、恥ずかしい!ちゃんとしなさい!やる気ないからそんななのよ!ちゃんとしなさい!」

罵倒されても私にはどうすることもできません。
なぜ眠くなるのかもわかりません。

それより、先生にいつも「寝ないで」と怒られていたことが母にバレてショックでした。


🔵もうおけいこをみないよ

小学3年生の冬ついに、全く上達しない私に先生がキレました。

教則本メトードローズは、ようやく半分を超え『小さい円舞曲』という曲のレッスンでした。

この曲になってから4回目くらいのレッスンだったと思います。

いや、先生のキレ具合を思うと、もっと回数を重ねていたかもしれません。

またレッスン中に寝てしまいました。

「やる気あるの?」

母はその頃には「一緒に待っているのが恥ずかしい」と言って車中でレッスンの終わりを待つようになっていました。

母がいればすかさず「あります」と答えたのですが、いないので自分の気持ちを言うか言わないか迷っていました。

でも、先生はそんな迷う時間なんてどうでもいいくらい呆れかえっていました。

「やる気ないんだね」

そういうと『小さい円舞曲』の文字の上に赤えんぴつで大きな❌をつけ、

「もうおけいこをみないよ」

そういうと、その言葉を❌の横に書きました。

❌もうおけいこをみないよ


そうなんだ
うれしいような
かなしいような
らくになれるかな


レッスンが終わって車に乗ると、

「どうだったの?今日は〇もらった?」

母が厳しい口調で尋ねます。

私は一縷の望みを託して正直に言いました。

「もうおけいこをみないよって言われた」

「はぁ?」
「何それ、あんたいい加減にしなさいよ。椅子座って寝てるからそんなことになるのよ。ほんと情けない!」

そう言うと車を走らせました。

私の望みは絶たれました。

母に期待していた言葉は出ませんでした。

「やめていいよ」

そう言って欲しかった

結局、私は母に自分からやめたいと言えず、小学4年生の秋までかかってメトードローズを終わらせました。

5年がかりでした。

「こんなに時間かかった子いない」

先生は呆れ顔でしたが、

「やめずによく頑張ったね」

と労ってくれました。

お世辞でも「よく頑張った」と言われてうれしかった

けど、そんなことで喜んでたら、また母に怒られるので、そっと気持ちは飲み込みました。


🔵終わりはあっけなかった

次は『子供のバイエル』という黄色っぽい表紙の教則本でした。

この本はメトードローズよりも多くの曲があって、本の後ろのページになると音符の数も増えていました。

ようやく新しい本にたどり着いた喜びと、ちゃんとできなかったら怒られることを思い憂鬱な気持ちとが入り混じって複雑でした。

が、小学6年生になると学校のクラブ活動が忙しくなりました。

なぜか平日しかレッスンがなく、放課後私はピアノに通う時間がなくなり、母もちょうど私をレッスンに連れていけなくなったのか、フェードアウトするように私はピアノ教室をやめました。

気がつけば行かなくなっていた

そんな記憶です。

改めて先生にやめます

と言った記憶がありません。

子供のバイエル 下巻 のどこで終わったか、アラベスクまでたどり着かなかったことだけ覚えています。

結局、習っている間に覚えたことは、音階と4分の4と4分の3拍子くらい。
音符は羽の形状によってリズムが変わるので、覚えられず、先生のお手本演奏を必死で覚えて勘で弾いていました。

習っている間はほぼ成長・上達なんてなく、何にもない私でした。

が、あることがきっかけでピアノが弾けるようになったのです。

第2番はこのダメダメな私が自らピアノを弾いて上達していく話です。

激しめの母と私の話はこちら↓↓↓



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