キャンセルされた「Merry Chirstmas」
年末になると日本でも当然のように「メリークリスマス」が多用されているが、メリクリの本場であるアメリカでは「Merry Chirstmas」はあまり使用されなくなっており、代わりに「Happy Holiday」などと言われることが多いらしい。もちろんこれもポリコレのひとつで、多様な宗教観に配慮しましょうという話だが、アメリカではもはやクリスマスもキャンセルカルチャーの対象になっている。 「Merry Chirstmas」と挨拶して相手が違う宗教観だった場合、ムッとされることもあろうが、「Happy Holiday」ならそんな心配もない無難かつ便利な言葉、というのが今のアメリカ人の認識らしい。クリスマスパーティーは「Winter Holiday Party」というらしく、日本語に直せば「冬休み会」だ。
「Happy Holiday」は無難で便利なのだろうが、何を祝っているのかがさっぱりわからない言葉でもある。例えば日本の祝日だって歴史的に由来する祝うに値する何かがあり、それで「●●の日」みたいに名を冠してあるが、「Happy Holiday」は新嘗祭が勤労感謝の日に変更されたように、何を祝いなぜ休日なのかが全然わからなくさせられてる感がある。キリスト教の祭りを擁護する義理はないが、そうなるともう日本の神道に纏わる祝日が廃止されたように、クリスマスも文化としては形骸化して衰退の一途を可能性もある。今までだって単なるパーティーだったじゃないかとも言えようが、宗教色も廃し「Merry Chirstmas 」も使用しないなら、歴史や宗教に由来しない無色透明な単なる年末休暇という感覚になっていく。
「Happy Holiday」はポリコレで「多様性」や「人権」に配慮した帰結なのだろうが、文化というのはある部分において野蛮さを内包するものでもあり、ポリコレに見られるグローバル人権主義というのはそもそもそうした歴史に根差した文化とは相容れない。「多様な宗教観」を取るならクリスマスは消滅し単なる年末休暇になることを免れない。そしてこの流れでいけばクリスマスに限らず、世界に存在する多様な文化が平板化・均質化され、消滅させられていく可能性もある。日本古来の祭も猥雑さを含むものがあるが、人権と文化というのは必ずしも相容れるものでもない。
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