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映画「おらおらでひとりいぐも」〜老いと孤独の先に

映画『おらおらでひとりいぐも』を観た。

沖田修一監督の作品は、前作『モリのいる場所』が、こちらの国のアジア映画祭で上映されたのでスクリーンで観た。
画家の熊谷守一を演じた山崎努さんと樹木希林さんの老夫婦がとても良かった。

『おらおらでひとりいぐも』の方も、75歳の老女、日高桃子が主人公だ。

冒頭、壮大な地球創生がアニメで描かれ、ジュラシックパークのような世界が展開し、他の作品と間違えたかと思った(笑)

誰もいない薄暗い居間で、まだ子供も小さくて夫もいた若い頃の家族の幻影を見ながら、独りこたつにあたり茶をすする桃子(田中裕子さん)。

あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが
どうすっぺぇこの先、ひとりで何如なじょにすべかぁ 年のせいだべか

頭の中でつぶやく声は東北弁で、桃子の若い頃を演じた蒼井優ちゃんの声なのだった。

桃子の心の声?分身?が具象化した、寂しさ1(濱田岳さん)、寂しさ2(青木崇高さん)、寂しさ3(宮藤官九郎さん)が現れ対話しながら、桃子の脳内には、東北弁丸出しでの思考が絶えず湧き上がってくる。

大丈夫だぁ、おめにはおら達がついてっから 最後までずーっと一緒だがら
あいやぁ、 そういうおめさん達は誰なのよ?

" おらだば、おめだ "(俺たちは、お前だ)

寂しさ達 は桃子に何度もそう言うのだった。
いつの間にか 寂しさ達 はジャズセッションを始め、スウィングジャズのリズムにのって踊りだす桃子。



この映画のタイトルを初めて見た時、『オラオラで一人雲』??かと思った。
これが東北弁だと分かるやいなや、東北出身である私は瞬時に理解した。
おら(私は)おらで(私で)ひとりいぐも(一人で生きてゆく)。
孤独な日々を送る桃子にとっては、”ひとりいぐも” とは、 ”独りで逝く” でもあるかもしれない。
そしてこのタイトルは、宮澤賢治が妹トシの最期をうたった『永訣の朝』の一節からとられたことを後で知った。

この物語の中で、東北弁はとても重要な役割を果たしていると思う。
都会での暮らしが長く、普段は故郷の訛りなど出てこない桃子が、頭の中では絶えず東北弁で話している。

人は老化すると、新しく覚えた言語から忘れてゆくという。
私の場合は、今住むこの国の言葉から忘れてゆくのかもしれない。

上京したばかりの頃は、私も桃子と同じで訛るのが恥ずかしくて、特に東京出身の友人と話す時は、訛らないよういつも気をつけていた。でも訛ってたと思う。会話中によく、んだーって相槌打ちそうになっていた(笑)
しかし故郷よりも長く東京に暮らすうち、東北弁で話そうとしても話せなくなった。
それなのに、この国に移住してからというもの、日本語で話そうとすると時々なぜか勝手に、東北訛りが出るようになったのだ。
なして?都会の女になったつもりだったげんちょ…(笑)
あんなに隠したかった故郷の訛りに、今では愛着を感じているし、劇中の東北訛りの響きは懐かしく、耳に心地良く沁みた。



" 寝でろってぇ どうせ起ぎでも、いいごとないよぉ?
どうせ昨日ど一緒だし どうせ独りだし "
毎朝、桃子の枕元で囁く、邪悪な座敷わらしみたいな六角精児さん。誰?(笑)
これも桃子の頭の中が具象化したものなのか?

ほぼ誰も訪ねてこない桃子の家に、唯一ひんぱんにやって来るのが、車の営業マン(岡山天音くん)。桃子のことを "おかあさん、おかあさん" と気安く呼んで、「おかあさん、遠くの子供より近くのホンダです」「息子さんだと、思ってもらって」と妙に馴れ馴れしい。
桃子が車の契約書にサインしている時に、オレオレ詐欺の電話がかかってきて、「だめですよ、話聞いちゃ。」って心配そうにする天音くんこそ怪しさ満点(笑)
岡山天音くんって、人の良さそうな普通の青年役をやっても、なぜか居るだけで不穏な空気が漂う。奇妙な魅力のある俳優だ。
ドラマ『最愛』でも天音くん演じる刑事・藤井が犯人なんじゃないかと、多くの視聴者に最後まで疑われてたし(笑)



全編を通して "老いと孤独" が描かれているのだが、不思議と悲壮感はなく、東北弁で語られるせいか可笑しみがある。
現在と過去を行ったり来たりしながら、若い娘になったり子供になったり、思い出と想像の世界を浮遊するかのような桃子。

若い頃、親に決められた人生じゃなく、自分の道を生きる!と心に決め、故郷を捨て上京した桃子は、勤めていた食堂で同郷の後に夫となる周造(東出昌大さん)と出会い、家庭を持ち、幸せな日々がずっと続くと思っていた。

" 周造は、おまえが見つけた都会の中の故郷だったんだなぁ "
寂しさ1が言う。


秋か、秋なんだな、なんもなんもなかったじゃい
亭主に早く死なれるわ、子供らとは疎遠だわ
こんなに淋しい秋になるとは思わねがったなぁ…
おら何如なじょな実を結んだべが
なんもなかったじゃ

桃子が一人で森をハイキングしながら、しみじみと人生の無常を噛みしめるシーンでは、泣きそうになった。

おめぇが死んでよぉ
それで初めて目に見えない世界があってほしいと、心の底から思ったのよ
おめぇはいる、きっといる
おめの住む世界がある、ただ今は別々にいるだけだ

色づく秋の森の中を、若い頃のままの夫と手を繋ぎながら歩いてゆく桃子の姿に、胸の奥がジワっと熱くなり涙が溢れた。

" この幸せにいつか終わりがくるのだと夢にも思わなかった "
若い頃の桃子が言う

確かに周造は惚れた男だった、惚れ抜いた男だった
んでも、周造の死に一点の喜びがあった
おら 独りで生きでみたかったのす
思い通りに我の力で、生きでみたがった
それがおらだ、おらどいう人間だった


何だか身につまされる言葉の連続だった。
私は遅くに家庭を持ったので、それまで独りの時間がとても長かったが、今でも、たとえそれが孤独と隣り合わだったとしても、独りぼっちの自由が恋しくなる時がある。

周造はおらを独りで生がせるために死んだ
これは、はからいなんだ
周造の計らい

それが周造の死を受け入れるために
おらが見つけた、意味だのす


" おらいぐも、ひとりでいぐも "

老いた桃子を演じきった田中裕子さんは、やっぱり素晴らしく、凄かった。
飄々とした中にも、悲哀を滲ませ、疲れた老婆になったかと思うと、時に童女のような表情が胸を打つ。



ある日、孫娘が一人で家に遊びに来て、桃子が 寂しさ達 と話したり踊ったりしている所を見られてしまう。
「ばぁばは、誰と話してるの?」と聞かれ、桃子は「この部屋には、見えないけれど沢山の人達がいるの」と答える。

こわくないの?と聞かれて、皆まぶってでくれる。まぶってっていうのは…と説明しようとする桃子に、孫娘は「知ってる!見守ってくれるって意味でしょ」と答える。
「おじいちゃんが、まぶっているってママいつも言ってる」
「あのね、ママ興奮すると東北弁になるんだよ」
と桃子に教えてくれた。

離れてしまったと思っていた娘(田畑智子さん)は、ちゃんと東北人のDNAを受け継ぎ、孫娘に繋いでくれていた。

救われ、心が温かくなるラストだった。





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