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「死は存在しない -最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著 を読んでみた (2)

前回(1)の記事では、宇宙には「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があるのではないかという仮説、について書いた。

今回の記事も3,631文字あります。
お時間のある時に、出来れば上記(1)から、お読みいただけたらと思います。



それで、この「ゼロ・ポイント・フィールド」と「死後の世界」には、何の関わりがあるの?と思われた方もいるだろう。
先に言ってしまうと、肉体の死滅後、波動である「意識」は、波動情報が記録されているという「ゼロ・ポイント・フィールド」内へ中心を移すのではないかと、本書は述べているのだ。

フィールド仮説によれば、「死後」なにが起こるのか

前回(1)の記事でも記したように、「ゼロ・ポイント・フィールド」には、この宇宙で起こったすべての情報が、波動情報として記録されている。

全人類ひとりひとりの人生に関する「すべての情報」、その人が、どんな人生を歩んだのか、何を願い、何を考え、何を感じて生きて去ったのかも、すべて刻々とリアルタイムで記録されているのである。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著

そして、我々の「意識のすべての情報」は、肉体の死後もフィールドに残り続けるという。

すなわち、「肉体」が死滅した後も、ゼロ・ポイント・フィールドに、我々が人生で抱いた「意識のすべての情報」が残るとするならば、それは「死を迎えた人間」にとって何を意味するのか。
ただ「情報」として永遠に「記録」されるだけなのか。
筆者はそう考えていない。
肉体が滅びた後も、フィールド内に記録された、他の人々の感情や想念、知識や叡智などと相互作用を続け、さらにはフィールド内に記録された「この宇宙に関するすべての情報」を学びながら、変化していくのではないか、すなわち「生き続ける」のではないか。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著

という仮説を立てている。

そして、ゼロ・ポイント・フィールド内の意識世界を仮に「深層世界」と呼ぶならば、そこには「現実世界」と全く同じ世界が存在している、というのである。


現実世界の「自己」が死んでも、深層世界の「自己」は生き続ける

「波動情報」という観点から見るならば、ゼロ・ポイント・フィールド内には
現実世界の私」と全く同じ、「深層世界での私」が存在している。
この深層自己は、現実自己と全く同じ「肉体の情報」と「意識の情報」を持っており、それも、過去から現在に至る、すべての情報を持っているというのである。

ここで最大の問題は、「現実世界の自己」が死を迎えた後、ゼロ・ポイント・フィールドの中で何が起こるのかである。
結論から述べるならば、「現実世界の自己」が死を迎え、消え去った後も、ゼロ・ポイント・フィールド内の「深層世界での私」は、残り続ける。
すなわち、我々の意識は「現実世界」の「現実自己」が死を迎えたあとゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に中心を移すのである。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著

「深層自己」に中心を移したあとも「意識」はフィールド内で、存在し続け、変化し続け、生き続けていく。


そして、完全に「深層自己」に中心を移す前、我々の「現実自己」であった「自我意識」は、しばらくゼロ・ポイント・フィールド内に残り、現実世界を見つめている。それが「臨死体験」や「幽体離脱」として語られている、と筆者は述べている。

自我意識」はいずれ、救われてゆく。必ず、救われてゆく。
その理由は明確である。人生の苦しみの根源であった、「自我」(エゴ)が消えてゆくからだ。
なぜゼロ・ポイント・フィールドに移ると、「自我」(エゴ)が消えてゆくのか。「恐怖」や「不安」という「精神的苦悩」からも解放されるからである。
自我」(エゴ)が消えてゆくとは、「」が消えていくことを意味している。
なぜなら「自我」(エゴ)は、その本性として、自分と他者を分け、自分と世界を分け、そこに「」という意義を生み出していくからである。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著


フィールド内で、我々の意識は、「私」を忘れ、「すべて」を知る

自我」(エゴ)が消えた後は、「世界」と「」を隔てていた強固な「自我の壁」が消えるため、我々の意識は、すべての情報や知識や叡智に触れることができるのである。
」を主語とした記憶が、全て消えてゆく。
「私は、いつの時代に、どこに生まれた、誰であるか」
「私は、いつ、どこで、誰と、何をしたか」
「私は、何を考え、何を思い、何を喜び、何に苦しんだのか」
といった、「」を主体とした記憶が、すべて消えてゆくのだ。
上記の「私は…」の主観的情報も、決して、すべて消えてしまうわけではない。
それは、「田中太郎は…」といった客観的情報として、ゼロ・ポイント・フィールドの中に、残り続けてゆく。
すなわち、我々の意識は、「」を忘れ、「すべて」を知るのである。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著


フィールドは「情報貯蔵庫」ではない、「宇宙意識」と呼ぶべきもの

我々の「自我意識」は死後、ゼロ・ポイント・フィールドにおいて、やがて自他の区別のない「超自我意識」となり、「人類意識」「地球意識」さらに究極の意識である「宇宙意識」へと拡大してゆくのだという。
「宇宙意識」とは「この宇宙のすべてと一つになった意識」のことである。

例:イメージとして「2001年 宇宙の旅」のクライマックスで謎の物体「モノリス」に接近した主人公・宇宙飛行士のデイビッド・ボーマンが、最後に、「宇宙意識」のような存在と一つになってゆく場面。

というよりも、我々の意識は、いつか、「宇宙意識」=ゼロ・ポイント・フィールドへと戻ってゆくのである。
なぜなら、この「」という存在は、138億年前に「量子真空」が生み出した、この「宇宙」が、その138億年の旅路の果てに、地球という惑星の上に生み出したものだからである。
個的意識」()は「宇宙意識」(ゼロ・ポイント・フィールド)から生まれ、現実世界での生を終えた後、また「宇宙意識」(ゼロ・ポイント・フィールド)へと戻ってゆく。そしてまた、この「宇宙意識」から無数の「個的意識」が生まれ、一つの生を歩み、また「宇宙意識」へと戻ってゆく。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著

もし、あなたが、「」とは、この「自我意識である」と信じるかぎり、「自我意識」は、ゼロ・ポイント・フィールドに移ったあと消えてゆくため、「」は存在することになる。
しかしもしあなたが、「」とは、この『宇宙意識』そのものに他ならないことに気づいたのなら、「」は存在しない。「」というものは、存在しない。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著


これが、今、私達がいる現実世界での死後(肉体の消滅後)、私達の意識がどうなってゆくのかについての、筆者の考えである。

本書は、科学を学び研究者としての道を歩んできた筆者が、科学的知見に立ち、「意識」と「死後の世界」の謎を解き明かそうとして書かれた内容だが、読み進めるうち後半にかけては、禅問答や哲学書のような様相も呈していた。


終わりに

現実世界での死後、ゼロ・ポイント・フィールドに移った時、先に逝った故人とも会える、と筆者は述べている。
それが例え我々の「自我意識」の想念が生み出す故人のイメージだったとしても。
ゼロ・ポイント・フィールド宇宙意識)は我々の願いを感じ取り、会いたい人のイメージを見せてくれるのだという。

会いたい人が、きっと待っていてくれる
やがて、その人たちとも
混ざり合い一体となり
宇宙へと還ってゆくーー

そんなイメージが浮かんだら
なんだかとても穏やかな気持ちになった。

ゼロ・ポイント・フィールド仮説」は、現段階では、どこまでも仮説にすぎない。何かの思想を押し付けるつもりもない。と、筆者は、はっきりと述べている。

それでも私にはとても興味深く、心に響いた内容だった。
意識が果てしない宇宙へと広がってゆくような想いがした。

希望というのだろうか、少しだけ光が見えた気がしたのだ。

ネイティブ・アメリカンには、こんな格言がある
"死は存在しない、生きる世界が変わるだけだ"

ゼロ・ポイント・フィールドとは、まさに
この言葉を具現化した世界のようにも思えた。



2回に渡り、長い記事にお付き合い頂きまして、ありがとうございます。

この記事は、本書での要点を抜き出し、私なりにかなり簡略化してまとめたに過ぎません。さらに長くなってしまうため、記事に書き切れなかった箇所も沢山あります。
自分でも理解し分かり易くまとめるのは、なかなか難しい題材の本でした。

皆さまは、どんな感想を持ったでしょうか?

興味を持たれた方はぜひ、ご自身で本書を手に取り読まれることをお薦めします。



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