小説や漫画を"読み返す"回数、減ってません?
今回のテーマはタイトルの通り、「再読」なのですが、実際どうですか?
最近、小説や漫画を”読み返す”回数、減ってません?
●読み返さざるを得ない日々
小学生~高校生にかけて、僕が集めていた漫画はNARUTOとGetBackersとエアギアだけでした。
あと妹が集めてたストロボエッジと桜蘭高校ホスト部と夢見る太陽。
なので必然的に、家にある漫画は上記のシリーズだけ。
財力的にも、本棚の収容力的にも、これが限界でした。
巻数を合計すればそこそこありますが、こいつらは365日×12年間ずっと、自分の部屋の本棚という手を伸ばせばすぐ読める場所に鎮座してるわけです。
家にいて暇なときとかテスト前で勉強に飽きたタイミングとかで、
「久々に中忍試験編でも読み返すか~」
「蛮ちゃんみたいなサングラスしたい、、」
「ベヒーモス戦はやっぱ熱いわ」
みたいな感じで、ついつい手に取っちゃうんですよね。
もちろん友達から借りたり、ジャンプを立ち読みしたりして、新しい作品に触れることはあるけど、頻度としてはそこまで多くない。触れる作品の数は限られている。狭い世界。
漫画だけでなく、小説も同様でした。
そのため当時は一つの作品を読み返すことが多かったんですが、今にして思うと、読み返すことの効用って結構あったんじゃないかなーって感じるんです。
何回も読むからこその発見ってありませんか?
自分は思わぬ伏線を見つけたり、「あの時のあの脇役の台詞って、そういう意味だったのか……」と気づくことがよくある。
1回作品を読むと、脳の中では無意識的にその作品のことを考えてて、2回目に読んだときその無意識的思考が浮かび上がってきてるのかも。
それだけでなく、何回も読むと、その作品が自分の頭の中に浸透していくような鑑賞のしかたが出来る。
1巻の内容が完全に自分の中に落ちきった上で2巻に進める、2巻の内容が完全に落ちきった上3巻に進める……みたいな感じで。
けど、最近。
特に社会人になってから。
同じ作品を何回も読むことより、新しい作品を開拓することの方に目が向いちゃってるなー、と思ったりするのです。
●”再”より”新”を優先する日々
学生時代は前述の通り、同じ作品を何回も読んでたわけですが、社会人になってからは話が変わってきます。
例えば、以前、2018年に自分が鑑賞した作品を列挙してみたりもしましたけど、この中で1度読み終えた後にもう1度読み直した作品は、片手の指で数えられる程度しかありませんでした。
まあその理由は明らかで、時間がないから、です。
大人になってから、平日は1日8時間以上、小説や漫画を読めない時間が生まれました。
その限られた時間の中では、どうしても再読より新しい作品を読む方が優先されてしまいます。
積ん読が視界の端にちらちら映るし、新しい作品に出会いたいという意志もある。
作家として、インプットをするためにも新しい作品を摂取していかなければならない。
また、別の観点として、社会人になったことで、新しい作品にアクセスしやすくなったというのもあります。
お金と本棚の広さ、電子書籍という媒体を得たことで、気軽に全巻買いして一気に読むことができるようになりました。
本屋さんに行く暇がなくても、電子で買うかAmazonで買うという手段があるので、買い漏れることもない。
最近では、読み終わった全巻セットをメルカリで売って、実質タダで読んでるみたいな人も増えているらしいですしね。
むしろメルカリ自体がそのムーブを推していたりもするし。
とにかく、いつでも新しい作品が手に入るので、積ん読は増えていく一方になり、積ん読を切り崩す方が優先されていく。
そういう感じで、”読み返す”という行為とは疎遠になってしまいました。
*
僕が少年だった頃と比べると、コンテンツが生み出されている量も、流通している量も、その鑑賞の仕方も、プラットフォームの数も、段違いに増えています。
僕が書いた中でいちばんスキ数が多いのが下記noteなのですが、この中で書いたとおり、現代はコンテンツが雪崩の様に大量に供給される時代なわけです。
(このnote書いたのもう1年近く前だわ……)
上記のnoteでも書きましたが、シンプルな図式として、
それに加えて、
……みたいな感じになってるんじゃないかなー、と。
ちなみにこれは漫画や小説に限った話じゃなくて、音楽にも当てはまります。
TSUTAYAでCD借りてきてMDにぶちこんだりウォークマンにぶちこんだりi Pod Touchにぶちこんだりして、”自分の選んだアーティスト・曲たち”だけが入った箱をイヤフォンで耳に接続して聴いてた頃とはもう、音楽の聴き方が変わっていて。
今ではApple MusicなりSpotifyなり、全世界の大量のアーティストたちの大量の曲にアクセスできる。iphoneは、箱の形はしてるけど、それはもう四次元ポケットみたいなもので、世界中と自分の耳を接続してくれる夢のデバイスになってしまいました。
そうすると「音楽を聴く時間」と「アクセス出来る曲の数」の比率が大きく変化し、「アクセス出来るけど聴けない曲」がとんでもない量になってくる。
結果として、1つの曲を何回も聴いている場合じゃなくなる。
音楽を聴く度に新しい曲を探す旅に出なければならない気になる。
先人達のレビュー、ジャケット、アーティスト名・アルバム名・曲名のセンスやフック、機械学習にもとづいたレコメンド、……色んな要素を元に判断し、再生ボタンを押す。
再生ボタンを押してからも判断は続く。イントロの雰囲気、使われている楽器、ジャンル……「微妙だな」と思ったらスキップする。なにせまだ見ぬ楽曲たちは海のような雄大さで目の前に広がっているのだから。
実際僕も、AppleMusicを開いて曲を掘るときはかなりの回数、イントロを数秒きいた段階でスキップしてしまいます。
だってまだ見ぬもっといい曲があるんじゃないかって気持ちになると早く次の曲が聴きたくなるし……
そんな感じで、少ない可処分時間の中で、「1度鑑賞した作品」より「新しい作品」へと眼をむけがちな昨今なのではないかなーと感じていたのです。
●だからこそ
長々書いてきましたが、要するに「たまには意識的に、読んだことある作品をもう一回読み返してみても良いんじゃない」という、ささやかな提案をしたかったのでした。
ゆっくり、のんびり、読んだことある作品をもう一度読む。新たな発見がある。安心感がある。そんなスタイルも、たまには悪くないんじゃないかと。
作者側の視点に立つと、何度も読み返してもらえるとやっぱ嬉しいしね。
もちろん本棚にある全ての作品を読み返すのは無理ですが、たまには再読の時間をとってあげても良いんじゃないかな~と。
***
というわけで、今回は以上!
特に強い主張もなく、軽めにさくっと書いてみました。久々にエッセイnote書いたけど、やっぱ楽しいですね。
まったくもって私事ですが、来月はヨーロッパに旅行いきます。
イェー。
飛行機の中では、何を読み返そうかなー。
***
23/5/31 追記宣伝
第30回松本清張賞受賞しました
7/5に受賞作発売予定です。
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