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社会参加はチャレンジだ。

何かしようとすれば、問題は起きる。
摩擦がなければ、車は走れない。
抵抗がなければ、飛行機は飛べない。

頑張れば頑張るほど、トラブルに見舞われる。
実績を出せば出すほど、憎悪される。
いわば、トラブルが起きるということは、果敢に物事に挑んでいる証。
でも世の中は、《トラブルが起きた(“起こした”)》ことばかりに注視し、その背後にある頑張りや努力を観ようとしない。

私が“起こしてきた”(巻き込まれた)トラブルの事例については、3冊の手記にたくさん書いてきたから、具体的には端折るが、例えば、誰かと仲良くしようとして何等かのアクションを起こすが、上手く行かなかった場合、それは誰が悪いのか。何が問題なのか。どこに問題があるのか。
もし、人間関係の具体的なやり方がわからないのなら、そこら辺の指導があればよいと思うのに、実際には全て本人の試行錯誤に任されている。

そりゃあ試行錯誤ばかりではトラブルや失敗だらけになるのも当然でしょう。
それを批判するのは、簡単だ。
そういうのは、教育とは言わない。
なぜ、そんなとき、助けてくれないのか。なぜ、うまくいくやり方を教えてくれないのか。

トラブルを起きなくするのは簡単だ。
頑張りや努力をしなければいい。
社会との接点をなくせばいい。
人と関わることを止めればいい。
社会参加を止めればいい。

だから、ひきこもりの人たちは、ある意味、賢い人たちだ。

あるいは、こうも言える。
この日本の社会が、事なかれ主義で、あまりにもトラブルに対して目くじらを立てるので、ある人たちはチャレンジする気持ちや気力を失ってしまったのだ、と。

だから、この国からひきこもりを減らしていくには、もっとこの国が、チャレンジする人に対して、寛容でないと、と思う。
もしチャレンジが失敗したときに“トラブルメーカー”として指さされたりダメ出しされて、人格批判をされたりすると、誰もチャレンジしなくなる。
それは、ひいては、国家の衰退にも繋がることだ。

社会参加は、チャレンジの連続だ。
もちろん、故意に悪さをするのは論外だが、社会との接点を持つことについて、その結果を悪く言わないことが、ひきこもりを減らすことの一つの方策にはなると思うがどうだろう。◆

(2023.11.11)

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