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言語化の困難。

私の著書やnoteを読んでくださった方のなかには、なんで、20年、30年、あるいは40年以上も前の昔の出来事を、今頃になって書いているのか?と思われる人がおられるかもしれない。
 その理由は、私は自分の気持ちを把握するのに、それぐらいの時間が必要だからである。
 健常者の常識的な視点だと、
「過去のことは水に流しなさい」
「なんで今更になって」
「そんな昔のことを蒸し返さなくても」
になるであろうと思われるが、なんであれ感情の動きの大きい出来事が生じた直後に5~10年後ぐらい)に自分の気持ちを訊かれたとしても、
「わからない」
としか答えられないと思う。
 いつまで経っても自分の気持ちが理解できない場合もあるが、かならずしも自分の気持ちがわからないわけではない。
 ただ、そうするためには、私の場合、途方もない時間が必要だ。
 おそらく、出来事からさして時間が経っていない状態で自分の気持ちを言葉で伝えたとなると、社会的に支障を来すと思う。(これが作曲なら、過激な表現も許されるのだが。)

もともと、私は自分の考えを言語化するのに時間がかかるのだが、とくに、感じたことや感情をその場ですぐに言葉にするのは、とてつもなく難しい。
 だから私が拙著『自閉女の冒険』のp.175で書いたような、いきなり、ひょいと無作為に突然質問されること、それもとりわけ、他のアスぺの人から攻撃・嫌がらせを受けている極度の緊張状態の渦中で質問されるということは、
 そうした言語化の困難が、大御所と呼ばれている専門家にすら全く理解されていないという現実を突きつけられる、非常に残念な経験だった。
(また、そうした攻撃がその場に居た専門家たちのいわば“公認”であったことも。)

とりわけ私が同書pp.120-121で書いたところの、自分の気持ちの表明を強制されるというのは、私にとってとてつもなく非常に難しく、また耐え難い経験だ。
 こう言われた。
 あの時私は、活動家の人から、

「さあ、どんな気持ちがしたか、言いなさい!」「言いなさい!」

と畳み掛けられたわけだが、私としては、その場ですぐに気持ちや感情を言い表すのが難しいので、代わりに、いかにも健常者が言い出しそうな模範解答をした。
すると、

「じゃあそれを、どこそこの誰それさんに言いなさい!」

と言われた。
 そこには、自分の気持ちを言い表すことすら、自由は許されなかった。
 というか、世の中には、他人の内心の自由にまで踏み込み、命令し、指図し、制約してくる人がいる。
自閉症者の持つ言語化の困難に全く配慮していないどころか、その弱みを突いているというか逆を行っている。
もし故意でわざとやっているのだとしたら悪質である。
(そもそも、こちらの事務的な問い合わせに対して、なぜ、こちらの「気持ち」を表明することが要求されるその理由からしてわからないのだが。)

ある自閉症当事者はその著書(『わたしはASD女子 自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』シエナ・カステロン著、浦谷計子訳、さくら舎、2021)の中でこう書いている。

「ASDの子は、自分の経験を消化し、表現できるようになれるまでに、かなり多くの時間を要します。」

(同書p.197)

「感情に気づいて整理するまでに時間がかかるという問題もあります。何時間も、何日もかかって、ようやく自分が何を感じているかに気づくのです。とくに強烈な経験をしたときや、いじめを受けたときがそうです。」

(同p.91)

自閉症でも人により、また出来事により、何時間か、数日か、数か月か、数年か、数十年かの時間の違いはあると思うが、とにかく、私は自分の考えや気持ちの確認に時間がかかる。
 だから、私の気持ちを知りたい人、個人的な質問をする人には、どうか、せっかちにならずに、待って欲しい。

だから私は、遠い昔の出来事を今更になって書いている。
 考えるのが遅い馬鹿(悪い言葉でごめんなさい)なのかもしれないが、最初から脳がそういう仕組みになっている生まれなのだから仕方ない。
 いわば感情の波というのは、撹拌されて濁っている水のようなもので、洪水や急流が止み、沈殿して透明になって形が見えてくるのをひたすら待つしかない。
 その待つ時間は、自分ではどうにもならない。自然に委ねるしかないのである。◆
(2022.11.2)

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