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【インド単身旅記】夕焼けの赤黄が空を満たしていく瞬間のような優しい時間。

「ここに座って。あなたは私に沢山の愛をくれたから、少し休んで欲しいの。私の席をあげる。」

 目の前にいる足の不自由なおばあちゃんは、私にそっと言いました。

こんちには🌕文月ノベルです。

本日はこちらでお話したインド記について、お話をさせてください。

|伝記で出会った本当の愛。そして単身インド旅。

 冒頭のお話は、インドのコルカタにある修道女マザー・テレサが建設した『死を待つ人の家』での出来事です。私は18歳のころ訪れ、一カ月を共に過ごしました。ここでは、身寄りがない方や、難病を煩っている方など、さまざまな理由から、人生の最期を迎えるその日までここで過ごすと決めた方が入居しているのですが、

 介護施設と呼んで良いのか戸惑ってしまうような、固いベッド、汚れた室内、少ないスタッフ。衛生面が整っているとは、決して言えません。。。

 にもかかわらず、足の不自由なおばあちゃんが席を譲って下さったのです。過酷な現実に身を置いているのにも拘らず、入居者の目はキラキラと活力に溢れていました。

 なぜでしょうか。

 「私は生涯、貧しい人に尽くしたい。愛がもっとも貧しい人に。」

 1979年にノーベル平和賞を受賞したテレサは、こう述べています。愛情を知らない人々の計り知れない悲しみを知ったからこそ、この「死を待つ人の家」において、生涯彼らに愛情を注ぎ続けた第一人者。

 私がテレサとはじめて出会ったのは、伝記の中、紙面の上。8歳のときでした。
 
 黒い世界を知らず、グレーな世界さえも知らないこのころの無垢な私には、マザーテレサの目線で描かれる「死を待つ人の家」の人々や出来事は、冷凍庫の奥底に眠る忘れられた氷のように冷たく、悲しかったことを覚えています。

 もしも世界に色があったとしたら、きっと透き通るほどの純白だろうなあと想像していた私に、さまざまな色があることを教えてくれたのは、フィクションの本や詩だけでなく、史実に基づいた伝記。

 伝記越しに見えた世界は、私の幼い胸のどこかにずっと刺さっていたのでしょう。私はその10年後、単身インドのコルカタにある『死を待つ人の家』に訪れることとなったのでした。

 私は、席を譲ってくださったおばあちゃんの目や姿を思い出すだけで、夕焼けの赤黄が雲の無い一面の空を満たしていくあの瞬間のように、心が愛で満たされます。ーーーテレサの伝記をはじめて読んだあの日と同じように。


▼マザーテレサが眠るお墓とインドの様子です。

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|親が最期にする教育。

 それから2年後。自分もいつか母親になることを自覚し始めた成人式。

 私はこれまで、両親から数えきれない程多くの教えを受けました。「これまで育ててくれてありがとう」 私が両親に感謝を述べると、母は目に涙を浮かべた優しい笑顔でこう言いました。

「親が最期にする教育は、自分の死に方を見せることなのよ。私は今、最後の教育を受けている最中なの」

 このとき、私の祖母は脳梗塞を患い植物状態で病院のベッドに横たわっていました。それまで私には、大切な家族を失うという経験がありませんでしたが、大好きな祖母が脳梗塞で倒れたのです。

 祖母が引っ越しを決意し、私たち家族の家に住むことが決まった矢先の出来事でした。病院のベッドで身動きがとれず、もう二度と会話をすることは出来ません。祖母の耳が聞こえているのか、聞こえていないのか、それすらも、分かりません。

 しかし、何か嬉しい報告をすると、 祖母は瞑った目から涙を流すのです。私が実家に帰省し会いに行くたびに、涙を流してくれるのです。

 この奇跡が偶然か必然か悩んでいる私に、とある転機が訪れました。ある日、いつものように病院へ行くと、いつものように横たわっている祖母の耳に、いつもとは違う光景が広がっていました。

 祖母の両耳に音楽プレーヤーがささっていたのです。驚いて担当の看護師さんを呼ぶと彼女はこう言いました。

 「耳が聞こえているか聞こえていないかは問題ではありません。大切なのは、聞こえていると信じることなのです。きっと楽しんでいますよ、音楽」

 祖母が倒れてからというもの、凍えそうなほど冷え切っていた私の全身を、あたたかい空気が駆け巡ります。

  こんなにも優しい風景を見たのは、初めてでしょうか。

 いや、それは、テレサに教わったあの赤黄の夕焼けに似ていました。祖母も、あの時席を譲ってくださったおばあちゃんも、最後の最後まで、凛々しいその生き方を、世界は愛に溢れているということを、教えてくれたのです。

 世の中はこんなにもあたたかい優しさで溢れている、ということを教えてくれたのです。

 これこそが、母のいう最後の教育なのでしょう。
 私は両親からも、祖母からも、あのおばあちゃんからも、大切なことを教わりました。

|帰って、愛そう。それが今できること。

「亡くなった方との思い出に浸り、話しに花を咲かせる。それが一番の供養です」

 祖母のお葬式で、僧侶はこう語りました。

 たしかに私も、きっと読者のみなさまの多くが経験しているように、悲しみの真ん中に立ちました。

 しかし、祖母が亡くなったあの日から、なぜか怖いことが無いのです。

 あれだけ怖かった日本のホラー映画も、学校の4階にある音楽室の横のトイレも、電灯のない暗がりの夜道も、どこかで祖母が私を守ってくれているような気がして、なぜでしょう、本当に怖くないのです。

 大切な人の「死」は、私たちを愛で守ってくれるのだと、そんな気がしています。


「世界平和のために何ができるかですって? 
 家へ帰って、あなたの家族を愛しなさい」

 テレサは、世界平和のために私たちができることをこう、語っています。手の届く範囲でいいから、いや、むしろ、手の届く範囲こそがもっとも大切なのかもしれません。

 不確実で、複雑で、曖昧性もあるこの不安定なニューノーマル社会のなかで、皆さんもきっと、何かしらの我慢をしたり、辛い思いを経験したり、少しネガティブになってしまう瞬間が存在しているのではないでしょうか。

 でも、だからこそ、身近な愛を大切にしたいと感じます。

 2020年の暮れは、家に帰ろう。リモートでも、メールでも、チャットでも、帰る手段はなんだって良いのだから。


本日も、ありがとうございました(´ー`)。

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