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ビリヤニ【5】(南インド) もう一つのビリヤニ文化

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


日本でも朝昼晩でそれぞれ食べるものが異なるように、タミルでも、とりわけベジ(菜食)食堂ではメニューによって提供の時間割が存在する。基本的にパロッタやラヴァ・ドーサ、ボンダ(ジャガイモを具にした揚げ物)、バジ(野菜の揚げ物)は夜、ポンガルやワダなどは朝だけ食べる印象がある(店によって変動アリ)。

南インドといえばバナナの葉にのったミールスが有名だが、ランチ時だけしか提供されないという不文律がどのタミルの食堂にもある。夜にミールスを食べたくても出す店がないのだ。とはいえその理由を
「我々がミールスを夜に食べないのはご飯が重いから。夜は軽く済ませるのが私たちの間では一般的なんですよ」
とまことしやかに教えてくれたタミル人が、晩ごはんにてんこ盛りのビリヤニをむさぼり食べている姿を目撃してしまったこともある。食習慣化した本当の理由など当のタミル人にもわからないものなのだ。

さまざまな食堂のメニュー。提供時間が書いてある


ちなみにビリヤニは食堂での時間割に当てはまらないことが多い。店によって曜日限定にしていることがあるが、ビリヤニを出すのは多くがノンベジ(肉料理)食堂で、昼でも夜でも食べられる通しメニューとなっている。

タミルでビリヤニを注文すると、バナナの葉を敷きその上によそってくれる、あるいは別皿からバナナの葉に自らよそう。この青々としたバナナの葉で食べるビリヤニが情緒あっていい。北インドでは味わえない感覚だ。小高いビリヤニの山を右手で掘りすすめると、指先に米粒ではないつるりとした何かが触れる。茹で卵だ。タミルのチキンビリヤニは茹で卵が山に埋まっていることが多いのだ。さらにその底にはホロホロになった存在感あるチキンが。つけあわせのタイール・パチャディ(スライスした玉ねぎとヨーグルトの和えもの)を米に練り込ませながら食べすすめていく。

バナナの葉にのせて提供されるタミルのビリヤニ


食事は当然手で食べたい。バナナの葉に盛られたビリヤニをスプーンで食べるのは、例えるなら回らない店で板さんに握ってもらった寿司を、プラスチックの使い捨てフォークでブッ刺して食べるほどの違和感を覚える。チキンの肉片を骨からこそぐようにして外しつつ、団子状にした米と共に口中に素早く放り込むなど手以外に不可能な芸当だ。気がつくとうず高くそびえていたはずのビリヤニの山塊がなだらかな丘になっている。やがてバナナの葉の葉脈に人差し指を這わせて最後の一粒まで丁寧に食べ終える際に感じる、満腹感とは別の官能的な恍惚感。これこそタミル・ビリヤニの醍醐味だろう。

タミルにはほかにもさまざまな米料理がある。トマトライス、レモンライス、サンバルライス、カードライスなど、その名もズバリ「バラエティー・ライス」と総称されるものだ。大きな食堂のメニューを開くと、文字通りバラエティー豊かなライスがあって楽しい。ビリヤニもまた米料理であり、タミルという米食文化圏ででいただくバラエティー・ライスの一つという捉え方もできる。南インドには青マンゴー、タマリンド、トマト、レモンなどで酸味づけした米料理の伝統があり、タミルではプリヨーダライ、アーンドラではプリホラ、カルナータカではプリヨーガレなどと呼ばれる。この「プリ」は酸味を意味し、古くは寺院で神にささげる供物のお下がり、あるいは婚礼の宴席で食べられる吉祥の味として親しまれている。食堂のバラエティー・ライスもこのハレの日の伝統料理の延長線上にある。

タミルの食堂で食べたバラエティー・ライスの盛り合わせ


さて、南ではなく東に目を転じてみると、国境をまたいだ向こう側にもう一つの濃密な米食文化圏が見えてくる。バングラディシュである。バングラディシュのビリヤニも南インドと同様、日常食べる米とは別の、チニグラと呼ばれる短粒米を用いる。いい香りのする高級米である。このビリヤニを現地ではどのように食べられているのか、名店の誉れ高いダッカのハッジ・ビリヤニ本店を覗いてみよう。

車の渋滞は誰しも経験あるだろうが、公共の路上で人間が渋滞する光景はそうそうお目にかかれない。オールドダッカと呼ばれる旧市街の午後。狭い道路は車、バス、自転車リキシャーと通行人たちでごった返し、まるで満員電車の中を牛歩するように歩を進めなければならない。人をかき分け、ほうほうの体でハッジ・ビリヤニ本店にまでたどり着くと店内はもっと混んでいた。満席のテーブルで食べている客の後ろにそれぞれ数人立っている。早く食べ終わりそうな客の背後に立って空くのを待っているのだ。私もある席に狙いを定めて背後に陣取る。ターゲットが隣客と談笑しようものなら「おしゃべりはいいから早く食べろ」とガンを飛ばす。ようやく自分の番が巡ってきた。確かにバスマティ米とは別種の芳香。小さなチニグラ米はそれ自体が甘く、一口大にカットされたホロホロのマトンとの相性も素晴らしかった。ボルハニという青唐辛子で辛味つけしたヨーグルトドリンクで爽やかに口直ししつつ完食。

カオスな混み方をするハッジ・ビリヤニ本店
バングラディシュのビリヤニはボルハニと共に


店頭にはビリヤニが大量に入った巨大な鍋を前にしたベテランの職人が、厚手の陶器皿に慣れた手つきで盛りつけていて、チニグラ米の何ともいえない香りを辺り一面に漂わせていたことを、食後落ち着いて辺りを見回してようやく気づいた。同じ短粒米を使いながら、国境の向こうの南インドとはひと味違うビリヤニ文化が、そこには確かに息づいていた。





小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com


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