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適応障害の何割かは、「事故」だと思う

ご無沙汰しています。昨年の診断書が出て休職し、退職、職業訓練を経ての再就職で、現在はフルタイムで働いています。
新しい職場で戸惑ったりしながら、以前よりは誰かを捕まえて「話す」ことで頼ったり甘えたりできているのかな、と思っています。

そんな中、身近な人が去年の私と同じように診断書を受け取ったと連絡があり、改めて自分の経験を振り返ることもありました。

今回は、私自身が今もそう思っていることについて書こうと思います。


前提として

タイトル通り、私は適応障害の何割かは「事故」と呼んでも良いと思っています。
ここでは、ウェブや本で見つかるくらい明白なパワハラや残業、就業環境の悪さ(ブラック)が起因の適応障害は対象ではありません。この場合、原因が「明白」なわけだし、本人だって「あれのせいだ!!!」と認識できることも多いと思います。すでに自覚している性格と環境(人や仕事内容)が合わなかったときも、対象ではないかなと思います。

でも、本人自身が環境の合わなさを認識していなかったり、環境だけ考えたらホワイトっぽい職場だったり、好きな仕事だからこそ、無理に気づかなかった後の適応障害もあると思います。特に、診断書をもらったその時の本人の認識として「なんでこんなことに・・・」とおもってしまうパターン。これが、「事故」の適応障害かなと。
あくまで私個人のラベリングですが、その話をするのがこのnoteです。

診断書をもらったとき

当時のnoteでも触れていますが、診断書を出すと言われたとき、一番に思ったのは「ああ、診断書が出てしまった」でした。
「なんで」「どうしてこんなことに」という悔しさもたくさんあって、半年くらいかかって言葉になったのは「ただ一生懸命やりたかっただけなのに」でした。

そんな状況に対して、わかりやすい1つ、2つの要因をあげるのは難しい。おまけに、スムーズかどうかは別にしても、周囲とコミュニケーションをとりながら取り組んでいたなら、余計に自分で絶対にこれだ!というものもないし、全面的に「あの人のせいだ!」と思いきれない人もいる。私もややそういう傾向がありました。

「事故」と考えることで、自責を減らす

自分で言ってしまいますが、基本的にはなんでもこなせていけてしまう人間です。ある程度の情報が集まったら、そのまま動けてしまうんです。指示が来る前に、確認をとって動けちゃう。
前職では、上長の仕事の進め方で困っていることがあると相談しても(2回した)、「そこはあなたがもう少しうまくやらないと」的な対応をされていました。そんな事情もあって、診断書をもらった当時は「私がもっとうまくやれれば」と自責する気持ちが強かったです。

でもやっぱりそれだけじゃ、「適応障害の診断書」と向き合えませんでした。

そんななか、きっかけは覚えていませんが「ああ、これは事故だな」と思うようになりました。何より「事故」だと思うことで、自分を責めすぎずに向き合うことができました。

状況を俯瞰すると

・入社から数年経過していても、コロナの影響で1年目と同じ活動・業務とはいかず、組織としては常に模索が必要でした。
・コロナ1年目は、あるいみ諦めもついている状態でした。しかし、繰り返される緊急事態宣言や、仕事でもプライベートでも予定の変更、くじかれる期待が重なったストレスは確実にたまってたと思います。
・繁忙期は年度末で、行事が重なるのでタスクのやりくりが大変です。しかし、あまり段取りを組むのが上手でない上長と仕事をしていたので、細かく根回しや先回りをするのが日常でした。毎日脳みそフル回転で作業を回して、ふって湧いてくる新たなタスクを処理する算段をたてる、みたいな。
・コロナの影響で、上司の国外出張手配では普段ならあまり発生しない手続きが発生。一見簡単にみえるけどこちらの確認事項が倍増しているし、変更への注意も必要。全体に共有もしていたけれど、なんとなく一人相撲という状態。
・上長たちもそれぞれプライベートなことでストレスのかかっている(であろう)状況が発生
・友人たちのことでかなり大きな心配事が発生(国が侵攻を受ける・・・)。

あらためて書くとカオスです。マネジメント層がある程度人数としてもいる職場なら、どうにかなったのかもしれません。でも、人数もかなり限定的だったので、お互いの抱えているストレス負荷がぶつかってしまったら、それは何か起きちゃう条件はそろっていた気がします。

この状況を客観的にみられたとき、この「適応障害」は、いろんなことが重なって発生してしまった「事故」なんだと考えるようになりました。

仕事、好きだったんだもん

ひょっとしたら「なんで自分を責めたの?」と思った人もいるかもしれません。

そこには、仕事の中身が好きで、やりがいも感じていて、ようやくアフターコロナになるというところで倒れた自分が悔しかった気持ちがあります。
なんだかんだ言っても、いろんな学びを与えてくれた存在でもある上長たちを、突然悪者にできない気持ちもあります。
コミュニケーション不全が、入社して数年後に起きるなんて、それもほぼ変わらない同じメンバーですごしていて起きるなんてと思っている自分もいます。
なぜ相手がそんな言動をとってしまったのか、その背景に考えを巡らせられてしまう想像力で、起きた状態に折り合いをつけようとした自分もいます。

そんな「気持ち」と「自分」があったからこそ、「事故」と呼ばなければ自責を緩和できなかったんだと思います。

「事故」と捉えるのは、回復に向けての第一歩だと思う

さて。じゃあ「事故」なら悪者はいないのか?

そういう話ではないかな、と思います。実際、私は1年くらい時間をかけてようやく「事故」と呼ぶには軽すぎるくらいの、相手との相性の悪さや考え方の違い(もはやパラレルワールド)、配慮の無さも認識しました。

また、適応障害の対応や認知行動療法のなかでちょくちょく触れられる「本人が認識を変える必要」、もっとやわらかい表現にするなら、ストレスに対して、今度は自分がどう向き合うのか等を見直す場面は出てきます

私は、ちょっとだけ「変わらないと」と思うのがいやでもありました。なんだか「こうなったのはあなたが悪い」と自分で言ってしまっているようで。

でもそれを、あなたが「悪かった」と捉えるのではなくて、「工夫の伸び代」くらいに考えると気持ちも楽かなと思います。今より肩の力を抜いて、自分らしく生きるための「工夫」であり「戦術」でもあるかもしれません。
それに、今適応障害の診断を受けて通院をしたり、何か取り組んでいる人は、もうすでに新しい自分に向けて前進をはじめていると思うんです。

おまけ:適応障害後の私

職場に、というか、働くことに復帰して数ヶ月。今の職場は人数も多いこと、最初のうちに、何人かの上長にあたるようなメンバーには、適応障害の経験があり、自分でも気がついていないトリガー、トラウマがありそうだと伝えました。

不安になりがちな出来事があったこともきっかけでしたが、それでも、以前の私なら、職場の「外」の頼れる人=友人、知人、カウンセラーに話をして終わっていたと思います。

でも今は、自分の不甲斐ないところ、弱いところを先に共有して、助けて、って言いやすい環境を作ることができるようになりました。
以前なら体調の不調をただの風邪とか寝不足に紐づけていたけれど、今はちゃんと「ストレス」との関係、自分のこれまでの経験で想起されているものを考えて、必要があれば切り離す、ということも、カウンセラーや周囲の助けを得てできるようになってきています。

まだまだ試行錯誤だし、なんならつい先日思いがけないトリガーが作動して体調悪かったり、交感神経がいつまでもハイテンションだったりすることもありました。だけど、確実に言えるのは、「適応障害になっても、その回復にどれだけアップダウンがあっても、全体でみれば良い方向に向かっていくことができる」です。

「事故」と捉えるのも1つの手段として、誰かがちょっとでも楽になっていたら良いなと思います。



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