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ブルートレイン

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日本でのブルートレインという名の起こりと、ブルートレインブームについて
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さようなら117系

さようなら117系

 岡山地区の117系が引退するという。これで(銀河は別として)117系が見られなくなるというのはちょっと寂しい。

 117系、そのデビュー当時が懐かしい形式である。関西の国鉄車輛ではあるが、1979年にはブルートレインのブームだった事もあってか、静岡の方でも新聞記事になった。
 テレビ番組でも紹介されていたらしく、鉄道に普段興味のないような同じクラスの子が、「新快速って知ってる?」と言ってきた程

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地下鉄の電車を入れる話

 1978年3月ぐらいからいわゆる「ブルートレインブーム」が始まり、特に鉄道好きでもなかった子供を巻き込んで騒ぎになっていくのだが、テレビ等に取り上げられる鉄道は、この寝台特急という1枚看板に限らなかった。

 前年の1977年からは東京のテレビ番組の中のコーナーに「走れ!特急」ができ、国鉄特急全般が取り上げられた。「あずさ2号」のヒットもこの頃だった。
 日曜朝には「真珠の小箱」という番組の中で

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ドラえもん「のび太の模型鉄道」から

 ドラえもんの「のび太の模型鉄道」は、タイトル通り鉄道模型、Nゲージ回である。
 ちなみに、「ドラえもん」に最初に鉄道模型が出てくるのは「サンタえんとつ」の回で、ドイツ国鉄のE103をもらっている(この間見直したら違っていた、これは別の回か)。南正時さん(「新オバケのQ太郎」の頃はアニメーター。後に鉄道写真家になる)の写真の影響から西ヨーロッパの鉄道に興味を持った少年も結構いたものである。
 F先

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ワキ8000・ワサフ8000

 かつて存在した国鉄の荷物列車は、駅の窓口で渡せるくらいの小口の荷物を運んでいた。しかし、輸送する量が多い路線となると、大口の輸送で使う貨車を使った方が良いんじゃないかという場合があった。

 そこでパレット輸送用の高速貨車ワキ10000と同じ構造の荷物車が作られた。これがスニ40で、以降その派生形式も含めて増備されていく。
 車掌室と貴重品輸送等のスペースの付いたスニ41、全長を伸ばしたマニ44

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EF65501を運転できる

EF65501を運転できる

 JR東日本のEF65501号の体験運転のイベントがあり、参加費用は165,501円との事。

 私はこの値段、安いと見ている。

 理由の一つは、この機関車、遅かれ早かれスクラップになるからだ。断言できる理由は、同じように残っていたEF60が既に無いからだ。無くなってしまえば乗れない。

 良くて大宮入りだろうが、そうなるとオブジェ同然である。

 もう一つ、この体験運転はおそらく、「ブルートレ

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TMS2020年6月号から考えてみる

以下、メモ程度

 和田洋氏の「模型ファンのための客車入門」が興味深い。
 この中に「変化が起きたのは1957(昭和32)年10月1日の改正です~」に続いて「九州特急を品川、東京~大阪間の特急は~」とあり、「九州特急」は何も20系客車を指して使われた言葉では無いのがわかる。

 そして一般客車に青15号塗装が導入されるのは「1964(昭和39)年10月」から。つまり「はくつる」運転開始のタイミング

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(メモ)ブルートレインブームは仕掛けられたのか?

・「SLダイヤ情報」では1974年(SLブームはまだ終わっていない)からEL撮影地ガイドを掲載している

・「鉄道ファン」誌では1975年1月号から連続して(ヤングファンにまで批判されるような)寝台特急や牽引の電気機関車特集がなされている。

・「鉄道ジャーナル」は1973年に「魅惑のブルートレイン」特集を組んでおり、これはブルートレインの文化面で重要だが、同誌の性格からして「仕掛けた」とは異なる

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ウケが良ければ良いのだろうか

 ブルートレインの廃止に対して「お前らが乗ってないからだ」というのがツイッターで良く回ってくる。

 こういうのってウケるらしい。あと、自分が関わっていない趣味にこういう風にツッコミ入れると、優越感があるらしい。

 でも実際には「お前ら」が乗っても結局ブルートレインは廃止になっていたよね。

 そもそもブルートレインというのは東京対九州を最速で結ぶために設けられた。山陽新幹線の博多開業で、その本

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やっぱり「うたは世につれ」なんだね

 むかしのちあきなおみの「喝采」といううたに「動き始めた汽車にひとり飛び乗った」というようなところがある。先日、この事をSNSで質問している人がいた。

 ああ、やっぱり時代が変わってしまったなと思う。今はJR各社に分割されたが日本国有鉄道というのがあった。で、1982年位までは上野駅にも手動ドアの高崎線の客車列車が乗り入れていた。

 もちろんこれは危険だし、80年代もどんどん数を減らして、JR

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あれは「鉄道ブーム」では無かったのか?

「ブルートレインブーム」という言葉はあるが、むしろその後、「鉄道が少年達(一部としても)の好きな定番」である時期は長く続く。
 私がこれを「ブルートレインブーム」と分けて考えるのは、それを引っ張る「一番人気」が必ずしもブルートレインでは無くなってくるからである。
 もちろんブルートレインブーム前から鉄道趣味の少年がいたと言うのもあるが。

 それはいくつもの流れがあって、「時刻表2万キロ」のヒット

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少年サンデー1976年5月9日号



 ちょっと気になって古本で購入。

「SL以上の大ブームをまきおこした」とあるのだが、1976年の時点ではそんなものはない。

 まだケイブンシャの「特急私鉄大百科」も出る前である。

 このタイミングは「SLブーム終わって数ヵ月」「そろそろ各種スーパーカー商品が出るかどうか」ぐらいの頃で、「ブルートレインブーム」という言葉が登場するのは1978年を待たなければならない。

 気になるのはこの

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ブルートレインブームはいつ終わったか

 ブルートレインのブーム、そのはじまりはいつだろうか? 鉄道好きにとっては1975年頃、新幹線博多開業で新大阪発の寝台列車が削減、「夜行ひかり」運転の噂が流れ、20系の置き換えで話題になった頃という捉え方がある。
 これはSLブームの最後の年だが、本州からは蒸気機関車はいなくなっていた。
 この時に飛び付いたのは主に「若者」層で、20系寝台に親しんだ世代と言えると思う。

 一般的には1978年3

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(メモ)1961年のブルートレイン記述

(拙ブログ、俗世界の車窓からより)
(誰が呼んだかブルートレイン)

「ブルートレイン」という言葉を誰が最初に日本の夜行特急列車(主に寝台特急列車)の総合的な愛称として使ったのか、これはよく判っていません。

 いつごろ使われ始めたたかについても、壇上完爾氏の「国鉄がブルーの三姉妹とPRした1960年頃から」説(1978年の鉄道ジャーナルの「ブルートレインブーム」というコラムから)、竹島紀元氏の「

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(メモ)ブルートレインブーム関連年表

(誰が呼んだかブルートレイン)

拙ブログ「俗世界の車窓から」記事より、判り次第順次追加していきます

1958年

10月1日 20系固定編成客車による特急「あさかぜ」運転開始

1959年

竹島紀元氏による「九州の4特急」の記事。「ブルートレイン」表記はまだ無し(鉄道ピクトリアル)

1960年

この年、国鉄がPR誌で「ブルーの三姉妹」の表現を使用する。

この年、EF58型電気機関車のう

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