(メモ)1961年のブルートレイン記述

(拙ブログ、俗世界の車窓からより)
(誰が呼んだかブルートレイン)

「ブルートレイン」という言葉を誰が最初に日本の夜行特急列車(主に寝台特急列車)の総合的な愛称として使ったのか、これはよく判っていません。

 いつごろ使われ始めたたかについても、壇上完爾氏の「国鉄がブルーの三姉妹とPRした1960年頃から」説(1978年の鉄道ジャーナルの「ブルートレインブーム」というコラムから)、竹島紀元氏の「1962、3年ごろ何となく使われ始めた」説(アサヒグラフの取材に対して)、種村直樹氏の「1964年のはくつる運転開始で九州特急という呼び方が実態と合わなくなってから」説(1973年の鉄道ジャーナルのブルートレイン特集)など色々です。

 私は(「ブルートレインの由来」として語られる事が多い)種村説がそれらしいと思っていたのですが、「はくつる」運転開始の前年、1963年の「鉄道模型趣味」誌の「陸蒸気からこだままで」(のちに「ひかりまで」と改訂して書籍化)という連載の20系あさかぜのイラストに、「ブルートレイン」という記述があったのです。

 そこでさらにさかのぼって、鉄道雑誌の中の「ブルートレイン」という記述を探しました。見つかったのがこれ、「鉄道ピクトリアル」1961年3月号の小熊米雄さんの文章で、「あさかぜ級のブルー・トレイン」とあります。


 ただ、小熊さんがこういう表現を考えるというのは、ちょと考えられなかったので、もう少しさかのぼってみました。1958年(つまり20系特急客車の登場の年)から探したですが、「ブルートレイン」の記述はなかなか見つかりません。

 やっと見つけたのは二つ前の号、1961年1月の「鉄道ピクトリアル」でした。この中で野村董さんの「特急随想」という記事の中に「Wagon-litを連想さすBlue-Treinが」という記述がありました。「ワゴン・リ」はフランスにあり「オリエント急行」や「トランブルー」(たしか俗称、本家ブルートレイン)の客車を管理する(していた?)会社です。


 野村さんならば青い車体にフランスの豪華列車を引っ掛けたウイットで、「ブルー・トレイン」という言い回しを考案してもおかしくないように思います。

 ただし、この証明にはもう少し時間がかかると思います。

サポートありがとうございます。 はげみになります。