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読書: #6a The Reluctant Fundamentalist | Mohsin Hamid

お気に入りの対談番組『BBC HARDtalk』に出演していた作家 Mohsin Hamid氏。

その番組を見るまで自分と接点ゼロの作家さんだったのですが これがHARDtalk の面白いところ。様々な持ち味の人物を世界各地から抽出し 彼らが棲息する世界の内側を ホストとの丁々発止のやり取りを通じて ちらりと覗かせてくれます。

うろ覚えでは数年前の放送だったのですが 実際は随分古く 2018年3月にUKで放送された番組のようです。対談の内容は 氏の著作『Exit West』にも関連する 移民 に関するものでした。UKの住人には身につまされるTopicでしょう。

生憎 この対談の動画はBBCのアーカイブにありませんが 音声だけなら以下から聴けます:

Why does migration frighten so many of us? HARDtalk speaks to writer Mohsin Hamid whose novels have explored cultural, economic and religious tensions between East and West.
Globalisation is a trend based on movement - of money goods, ideas and people - across continents and national borders. In a world of glaring inequality, it has stirred a powerful backlash manifested in the rise of nationalism and identity politics.
This clash of human impulses is fertile territory for the Pakistani novelist.

番組のホストStephen Sackur氏は Hamid氏の経歴が一般のパキスタン人のそれから逸脱していることを懸命に突きますが 氏は微笑して受け流し
明瞭な英語で 知性豊かに自身の境遇などを語っていました。

この対談からHamid氏の人柄に興味を持ったため Booker賞候補に選出(shortlist) された氏の著作『The Reluctant Fundamentalist』を読んでみました。200頁程度の会話文なので 読み進めるのはそう難儀しないと期待しつつ。

NY 貿易センタービルが望めるバルコニー

Amazonの本書(='第2作にあたる本作')著者紹介からの引用はこちら:

モーシン・ハミッド
1971年、この物語の舞台でもあるパキスタンのラホールに生まれる。プリンストン大、ハーバード・ロースクールを卒業。
マッキンゼー(NYおよびロンドン)でコンサルタントとして働く間に2作の小説を執筆した。
処女作Moth Smoke (2000)では1990年代のパキスタン都市部のセックスとドラッグと階級闘争を描き、Betty Trask賞受賞。
PEN/Hemingway賞最終候補にもなった。また、この作品はパキスタンでカルト的な人気を集め、テレビドラマ化もされた。
第2作にあたる本作は国際的ベストセラーになり、多数の賞を受賞。また、ブッカー賞最終候補に。
2000年代の若者像を最も鋭くとらえた作品として、今も高い評価を得ている。現在はロンドン在住。執筆活動に専念している。

以下に 本書の感想を 粗く つらつらと したためてみます。

*  *  *


ふたつの紹介文とそれらの相違

読後にAmazonの書評を読んでいたら 邦訳版『コウモリの見た夢』が出ていたのを知りました:

本編にコウモリのエピソードは無かったような。。。
米国とパキスタン ふたつの文化の間にある主人公の比喩でしょうか。

その紹介文はこちら:

パキスタン人作家が描く「グレードギャツビー」と「ノルウェイの森」の世界。そして、9・11後のアメリカ。ブッカー賞最終候補作

「何かお手伝いいたしましょうか?」
ある日の午後、ラホールの旧市街アナールカリ・バザールの近くで「僕」は何かを探している様子のアメリカ人と思しき男に声をかける。
警戒する男に「僕」は、自分もアメリカのプリンストン大学を卒業し、ニューヨークの第一線で仕事をしていた人間だ、と切り出す。
そして不思議な運命に翻弄された自分の半生を語りだした――
ニューヨークでの生活、仕事、アメリカンドリーム、恋、そして9.11。
暖かな午後が夕暮れを迎え、そして夜の帳が下りるころ、「僕」の物語は不穏な様相を呈しはじめ……。
パキスタン人作家が描く、「グレードギャツビー」と「ノルウェイの森」の世界。そして、9.11後のアメリカ。
全米の大学生が読んだベストセラー。ブッカー賞最終候補作!

かたや 原書の紹介文はこちら:

'Excuse me, sir, but may I be of assistance? Ah, I see I have alarmed you. Do not be frightened by my beard. I am a lover of America . . . '

So speaks the mysterious stranger at a Lahore cafe as dusk settles. Invited to join him for tea, you learn his name and what led this speaker of immaculate English to seek you out. For he is more worldy than you might expect; better travelled and better educated. He knows the West better than you do. And as he tells you his story, of how he embraced the Western dream -- and a Western woman -- and how both betrayed him, so the night darkens. Then the true reason for your meeting becomes abundantly clear . . .

<DeepL翻訳>
" 失礼ですが、お役に立てるでしょうか?ああ、驚かせてしまったようですね。私の髭に怯えないでください。私はアメリカを愛する者です。。。'

夕暮れのラホールのカフェで、見知らぬ男がそう言った。お茶に誘われたあなたは、彼の名前と、この完璧な英語を話す男があなたを探したきっかけを知る。彼は想像以上に世渡り上手で、旅慣れていて、教養もある。彼はあなたよりも西洋を知っている。そして、彼がいかにして西洋の夢 -- そして西洋の女性 --  を抱き、そしてその両方がいかにして彼を裏切ったかをあなたに語るにつれ、夜が暗くなっていく。そして、あなたたちが出会った本当の理由が明らかになる。。。"


邦訳版では本作を『偉大なるギャツビー』と『ノルウェイの森』に関連付けてますが 原書の紹介にはそんな意図は見られません。
個人的には原書の紹介文の方がしっくりきます。ですが 『ノルウェイの森』の匂いは確かに感じる作品でした。


物語の流れ

主人公ChangezがパキスタンのLaHoreにあるCafeとレストランで アメリカ人らしき逗留者を前に一人語りで展開していく 文字通りの物語ものがたり が特徴的です。

LahoreのCafeはこんなに瀟洒なのか。。。

主人公Changezは母国パキスタンでは落ちた名家の末裔といったところ。慢性的な経済的困窮が静かに実家の生計に影を落としています。

怪我でサッカーの道を諦め学業に専念し 米国に留学。アイビーリーグのプリンストンを卒業後 優秀な成績を収め一流コンサル企業のインタビューに合格。ミステリアスなアメリカ人のガールフレンド/ステディEricaと時間を過ごしつつ 国際的な環境でコンサルティングの仕事を始める若きパキスタン人。

彼が9/11前後の時期を回想するこの物語は Hamid氏自身が辿った経歴を投影していると見て取れます。自伝的創作といったところでしょうか。

国際的なコンサル仕事の合間にEricaと過ごす多忙なChangezの日常に 9/11が訪れます。
この事件は当初 彼の日常を乱さなかったのですが Ericaとの関係性の変化や 仕事で出逢う人々との関わり合いを通じて Changezが自分を取り巻く世界に抱く気持ちに 少しずつ変化が現れてきます。
その過程で 米国の強大さが母国パキスタンとインドの緊張関係を牛耳ることに反感を覚えた主人公の心境は徐々に変化していきます。

同期入社組でトップの成績を収め 将来を期待されるこの若者がなぜか職業上のモラルやパフォーマンスを毀損していく変容ぶりを上司やメンターは不安げに見守ります。9/11テロ犯が中東系だったことも当然影響するのでしょう、同僚たちは髭を蓄えた風貌を含め 次第に変わっていく主人公に距離を置き 違和感を抱いていきます。

少し横に逸れそうですが
主人公が職業生活で経験した人種差別や偏見の具体的な内容が作中で幾つか披露されます。
それらは在米パキスタン人のみならず 同様な環境にある日本人などのアジア人にも共通するものでしょう。

例えばChangezのプロジェクトチームがフィリピンのクライアントを訪問した際は クライアント側から
「自分と同じアジア人なのに お前は何故アメリカ側に付いて アメリカ側の権利を享受し 偉そうにしているのか」といった態度を取られます。

チームがチリのバルパライソを訪問した際は リーダーの副社長(白人)と 敵対的なクライアント側のリーダー格との会話に 主人公が割って入ります。その時 相手先リーダー格は
 「こいつは誰だ(なんでアジア人のお前ごときが出しゃばる)」のような態度を取り 主人公には目もくれません。

Changezの自虐も相まって アジアの有色人種は いかに実力があれど白人の添え物であり、白人より身分の劣る生き物のように見做される、という差別の断片を読者に提示していました。

Valparaiso

そのリーダー格が例え話として主人公に説いたのが ”janissary.”

歴史用語的には ”イェニチェリ” と発語されるようですが 子供時代にキリスト教信仰の異民族から連れてこられオスマン・トルコの兵隊になった子供たちを意味します (すみません、世界史は絶賛学び直し中なので 世間一般には解説不要なのかもしれませんが 私はこの辺り知識不足です。。。。)

作中では逆に 米国の企業組織に所属し金を稼ぐ現代のアジア人エリート達に喩えられたアイロニーとなっています。

イェニチェリ

オスマン帝国が拡大する過程で、従来の騎射を主戦術とするトルコ系軽騎兵の軍事力に頼らない君主の直属兵力として創設された。創設時期については諸説あるが、14世紀後半のムラト1世の治世とするのがもっとも知られる説である。
当初は
キリスト教徒の戦争捕虜からなる奴隷軍であったが[注 1]15世紀に領内のキリスト教徒の子弟から優秀な青少年を徴集し、イスラーム教に改宗させてイェニチェリなどに採用するデヴシルメ制度が考案され[注 2]、定期的な人材供給が行われるようになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA

南米クライアントのリーダーがイェニチェリについて語った箇所:

"They were Christian boys," he said, "captured by the Ottomans and trained to be soldiers in a Muslim army, at that time the greatest army in the world.
They were felocious and utterly loyal; they had fought to erase their own civillizations, so they had nothing else to turn to."

p.172

「何故お前は自分のアイデンティティを打ち棄てて アメリカ側に協力するんだ?」 のように主人公を諭します。


ここまでを見れば 比較文化と小旅行、そしてロマンスが並べられただけの小説なのかな と思えてきますよね。

読み終わるまで事前情報を極力持たないように努めていたので
自分の当初の関心は 著者は主人公の人生設計が崩壊する先に何を据えているのか? にありました。
しかし 読み進めると主人公の損失は想像以上に限定的なもので 声高な米国批判や先進国の文明批判に終止しているわけでもありませんでした。

その一方で
ChangezとEricaとの関わり合いが本作に独特の彩りを加えます。

読後の今 著者の主題は 米国人の恋人、正しくは恋人未満のEricaに対する愛と離別についてではないか と思えるようになりました。

そして主人公が Ericaとの瑞々しいエピソードに触れる度、
「あっ いま恋愛小説を読んでるんだな これ」、と 予期せぬ発見に驚きつつ、困難な愛の取り扱いに静かに懊悩する主人公の心境と しっかり同調している自分自身を感じていました。

掴みようのない相手へ尽くす誠意と 与えても掴まえ切れず 自分の手から離れていく相手。
思慕の継続が自身の生命を著しく消耗させ 心の中の深いところまで痛めてしまう様子は 映像ではなく このように文章による創作の形で代弁してもらって初めて 共感できるように思えます。


大まかな感想を幾つか

本書を読まれる方が何人居るかはわかりませんが プロット全てを明らかにするのは無粋なので止め、感想の一部を並べるのみに留めておきます。
もっと多様な感想を書き残すこともできますが 個人的備忘なので。。。

a) 理性的な主人公なのに打算が無い
母国の親戚の経済状況を鑑みて、アメリカでの職業生活をもう少し継続する打算になぜ至れなかったのか? 疑問です。。。

実家の雨樋が古くなっているので修繕代金をChangezが支払っていたりと 一族の経済に余裕がない状況なのですから 彼を米国に送った分は職業生活のリターンでしっかり埋め合わせるべきなのは 至上命題でしょう。
例えば日本人でも バブルの時期に会社を辞めて米国MBAを取得した人は コンサル会社に就職して高給を得て 留学費用の弁済にあてがったのですから。。。。
ここには未だに違和感を感じますが そこはChangezがEricaに献身する誠実な若さをもってすれば むべなるかな でしょう。

b) 唐突に思えるエンディング
「えっ これで終わり?」と 何とも座りが悪く 落ち着きませんでした。。。
しかし最後の数ページを再読すると Changezの食事相手がどういう人物だったかが理解できました。
なるほど、それなら小説としての起承転結が明確に付きます。
終盤に向かう主人公とのやり取りに 何かしら不穏な色彩が加わる様子は いま思えばこの結末に依るものだったと感じます。

因みにエンディングに関しては ある読者のAmazon書評での意見に頷かされました。
その意見をざっくりまとめると「幾つかの文学作品は 全体が既に結論であり 本作もそうである。ドラマチックなエンディングに縛られ過ぎるのはいかがなものか。」という見解。確かにそれもありです。
繰り返しますが 自分的には ChangezとEricaの関係性(=主題)以外のプロットはただの付属品なのかもと思え エンディングがどうあれ 物語は既に完結していた とも感じられます。

c) 狙われたノルウェイの森?
別のAmazon書評に 「主人公の名前はChangeの暗喩、ステディの名前はAmericaの暗喩、結果 主人公の米国への思慕が露骨に判ってしつこい」 と書かれていました。
そんな切り口は想像の斜め上を行っていたせいでしょうか 自分にはその指摘はあまり響きませんでした。
この書評の着眼点から 本作と『ノルウェイの森』が重なってきます。

自分が読んだ村上春樹作品は『ノルウェイの森』だけなので
こう思うことがただの思いこみなのか/妥当なのか判断が付きませんが
複層的な読み方ができる点、読者のために置かれた小さな謎や小道具が 村上春樹小説を想起させるのかも知れません。
特に私小説であることは『ノルウェイの森』と同じ色調ですから。

なお 著者/Hamid氏が意図してそう編んだのかは わかりません。

引用が多いこともあり 字数が長くなったので 次回に繋ぐこととします。

映画化されているようです

<おまけ>
Mohsin Hamid氏経歴など


<続・おまけ>
Ericaの自宅に初めてお呼ばれされた主人公が逡巡しつつも着ていくのに選んだPakistanの伝統衣装 Kurta がなかなかカッコイイ(そして男前なモデルさん達のせいでより一層盛られているかも?)

買い求めて自宅で着ようかなーと思ってます。
ただ ピンキリあり 安すぎるのは縫製等々がダメっぽいそうですね。

これはパジャマだとか

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