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草むらに野良猫。

死出の旅を虎視眈々と見定めている。
正直、阿保らしいと思っている。こんな私ならいらない、いらないから、せめてこの体だけは生かして別の用途に使用して欲しい、などと思うのも含めて阿保らしいと書き綴りながら今私の横を華奢で滑らかな体つきの野良猫に嗤われたことを起点として思う。

私はあまりにも私のことを書きすぎた。日が上れば私、日が沈み始めれば私、日を待つまで私、時間の隅から隅まで私を主軸に皆さんの十人十色の目の隅に言葉を一つずつ置いていくこと、一年。日々生活を送るなかで何かの事象で自分の文章を見返すことがある、そんなときに決まって「こいつは、独りよがりで醜く纏まった結果、ただひたすらに自身から溢れ出すままをそっと風が吹くだけで折れそうな力で角度を変えれば模倣品に成り行くものを創った末、最終的に自己嫌悪の塊と満たされない承認欲求の海に溺れ、手を止める男である。」と勝手に自己分析らしきものをして閉じる。

この一年ぽつぽつと小さな噴火に似たものはあったが、それだけでは私のなかに巣くう悪魔を手懐けるほどの餌を提供出来ないことを知った。

この時折気を抜くと体のうちから食い破って私を飲む込もうとする悪魔は一体どうすれば消えてくれるのだろうか。
そのために私は阿保だと罵られようと旅立たなければならない。今日は久しぶりに散歩をした。その際、野良猫に嗤われた。茜空のなかを烏が飛んだ。それを私は昔父さんと遊んだ公園のベンチで眺めていた。


言葉を走らせる手から伸びる影がいつになく伸びて、
覚束ない足先から伸びる影はじりじりと下がり続ける夕立のせいで隠れてしまった。
頭上から見下ろす蛍光灯、
草むらの影に二つの異様な野良猫と鳴き声。

あれはきっともう一人の私だ。


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