満ちて 負けて 目指す 『欲望に満ちた青年団』
満ちた と 負けた が印象的な歌を聴いた。
芝居小屋で。
踊っていたのは、
わたしが初めて観た旅芝居の劇団で当時10代だった彼だ。
ちょっと変な雰囲気を持っている。
ひと昔前の少女漫画の登場人物のような顔と体形。
いいもわるいも「自分の世界」を持った人で、
いつもどこか冷めたようなすぐに居なくなってしまいそうなあやうさが
同居しているのが、おもしろいな、と思っていた。
双子のようにペアで売り出されていた兄が元気系(万年高校生系)だったからより際立っていたのかもしれない。
観ていた頃とは違う名前になったときは、
きらきらしすぎる漢字と読み方に「え?」と思うも、
「なんかぴったりやなあ、違和感ないなあ」ととてつもなく納得をした。
いっとき役者を辞めていた。
ファッションとか美容とかの関係の仕事を独立してやるとかやっているという話を聞き、ぴったりやなあと思っていた。
そこからちょいちょいとたまにまた出演するようになって、
え、いつからか、完全に戻ってきて、長い。
万年高校生の兄は、従兄弟と共に、ずっと、二枚看板の座長だ。
その傍ら、自分のムードとセンスを色気をぼわぼわ漂わせながら、
自分のこと(だけ?)をやってる姿には
10代の頃のあやうさややけっぱちさは感じられず、
でも、どこかやはり氷みたいに冷ややかで、
相変わらずわがままそうで、ああ、いいな、ブレないな、というか、
人はいい意味で変わらないなと思った。いい意味でも悪い意味でもだが、いい意味でだと思う。
そんな彼が踊っていたのがONE OK ROCKのその曲だった。
舞台に立つ者には、欲がある。
表現や、見せるということへの欲だ。
「見せたい」「〇〇したい」
〇〇したい、つまり「自分はこう表現したい」とか「こういうことをしたい」。
客席に座る者にも、欲がある。
舞台の上で見せられるものや見せるひとへの欲だ。
「楽しむ」「楽しみたい」
さらには、ありとあらゆる承認欲求
(という言葉は曖昧だし言いきれていない気がするからあまり使わないようにはしているのだけれど)だとか、
当然、恋や愛やといった欲もあるだろう。
それらは、クロスする。舞台の内容や出しものを通して。
けれど、一緒になることは、ない。いや、なるけれどならない。
ずっと永遠に一緒になることは果てしなく、ない、か。
刹那で交わり一緒にはなる。とても熱く、あたたかに。
永遠となることはほとんどない。
しかしその一瞬が、双方共の「それから」に繋がる。生きる力となる。
劇場にはいつも欲がいっぱいで、刹那で、永遠で、熱くて、冷めていて、
さびしさのようなものと、確かな熱、触れられないけれど感じる温度が、ある。
わがままクールな顔で踊っていた『欲望に満ちた青年団』は、
なんだか、悪くないな、と思った。
ひらひらしていただけかもだけど、
ひらひらきらきらしてて、冷めていて、自由だったから。
客席の御婦人が目をきらきらさせながら言っていた。
「今月、このひとのオーラにハマっちゃって通っちゃった。“様”って感じよね」
うん。うんうん。
(劇団花吹雪 桜彩夜華 9月 三吉演芸場)
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構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
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