地べたと宙 『宙わたる教室』がとてもいい
NHKドラマ『宙わたる教室』がいいなあと思っている。
主演が窪田正孝だからという不純な理由で観始めた。
「あきらかに今を意識してドラマ化したな」
「ベタやなあ」
と、初回を見始めながら思ってはいた。
でも観終えたときはちょっと違う気持ちになっていた。
学校をテーマにした話ということで、
なにかと照らし合わせたり伝えたり、
そのようなセリフを「押しつけがましい」と感じる人は居るかもしれない。
でも、そのバランスが、演技とも相まって、押しつけがましくない。
空気が、皆の演技が、温度が、バランスが、すごく、いい。静かで、静かに、ちゃんと、届く。届いてる。と、わたしは感じた。
さまざまな理由で定時制学校へ集う生徒たちと先生の話ということで
「あー」なんて思う人も居るかもしれない。
多様性。多様性の尊重。ってこの言葉、出しちゃった。
この言葉だけで「あー」とか「はいはい」なんて言ったりするひともいるかもしれない。
わたしもこの言葉は好きじゃない。というか、好きじゃないでもないな、
本当に本当にむずかしいことのむずかしい言葉やなあと思っている。
いろんなことを言い表せていないし言い表せないのに、
簡単にええ言葉ええことのように使われすぎな言葉だと思うし、
その難しさもとい難しすぎるさを、
でも考えることをやめてはいけなさを
考えるきっかけのような言葉かもしれないのに、
きっかけになれていない、皆が向き合えていないと思うことも多い。
でもそのことを、声高に叫んだり、いかにも正義や正解な風に言ったり押し付けたりするんじゃなく、もがきながら、悩みながら、
静かに、伝える、伝えている。とも、わたしは感じた。
先日読んだ本のことも重なった。
ここにもよく書くブレイディみかこさんの新刊『地べたから考える』だ。
ちくまQブックスという中学生・高校生向きのシリーズへの1冊で、
これまで出されたエッセイをまとめたアンソロジー、
ということは買ってから知り、「え、全部読んでるねんけど!」だったのだけれど、ご本人がBlogで「(最近のわたしにしては)けっこう啖呵きってます」と書いていたまえがきとあとがき、そして、「エピローグ」として載せられたエッセイ、が、すごく、よかった。というか、わたしは好きだ。うん、啖呵、きってた。
わたしはやっぱりネタバレが好きじゃないというか傲慢じゃないかなと思うので、啖呵きってるエピソードたちは各々読んでいただくとして、
ここだけ、引用したい。
「生きるための問いは立てるものではなく、立ってくるものであり、すでに立っているもののことだ」
「さて、あなたの足元にはどんな問いが立ってくる(あるいは、立っている)だろう」
(まえがきより)
定時制高校に通う生徒たちとちょっと風変わりな理科教師が実験を通して……。
「研究と実験は、トライ&エラーの繰り返しなんですよ」
「とにかく手を動かすんです。何度も何度も書く。式をいじりまわして可能性を探してみるんです。 そうしているうちに必ずどこかで ”わかった”っていう瞬間が来ます」
『地べたから考える』の「エピローグ」にも、教室と授業の話が出てくる。
わたしはこのエピローグが、すごく、ぐっときた。
ドラマのように「静かに」ではない。むしろ、逆だ。激しい。いや、熱い。
キーワードは「笑い」だ。わたしがずっと考えている、
このところ、また考えている「笑い」だ。気持ちが、ぐっと、飛んできた。
あとがきは、エンパシーを「他者の靴を履く」と例えてこられた彼女だからこその「絨毯」とそこから「自分の靴を脱いで歩き出す」だった。
「たぶん、あなたの問いはもう立ち上がっているだろう。
目をそらさなければ、足元にありありと見えてくる」
(あとがきより)
ドラマは、今、第2話が放送されたところ。
実話をもとにした小説のドラマ化らしい。
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構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
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