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【今日のつぶやき】すべての舞台人とそれを愛する人に想いをこめて

気晴らしに観始めたプロレスがつらい。
先月、日々の試合をリアタイもしくは後から観られる配信サービスに加入した。
気晴らし程度のつもりだった。しかし、つらい。

プロレスをよく観ていたのは10年ほど前。
全く知らないジャンルだったが、
仲いいプロレス担当記者のすすめや、
インディー団体に所属する選手へのインタビューなど仕事でも関わったため、
わりとすぐにハマった。
今と違ってルール等はあまりわからないままだったし、
業界のこともあまりわかっていなかった、が、人間模様、人間ドラマ、
「演劇」として「興行」として虚と実のあいだにある、それでも超「実」な世界を面白く思った。

10年前と変わらぬ選手は結構居る。
いい意味でも、悪い意味でも。
いい意味での頭の悪さと、いい意味でのナルシストさ故に?
または、安定の愛されるキャラ設定故に?
変わらないで、ちゃんと居る。
いや、勿論歳は重ねているし、しんどいこともいっぱいあるのだろうけれど。
「おいおい」「もー」「大人げないなー」と観ながらツッコみながら観ることが出来る。
いつまで経ってもヤンチャで不器用な親戚を見るように。

でも、10年って、結構な時間だ。
プロレスは肉体を酷使する仕事だ。
そして、常に、時代や、世代抗争などがつきまとう。
観ていて笑えないどころか泣きそうになる選手もいる。

スターだったのにその他大勢組に入っている選手。
キラキラのスターだったのに老けて怪我や故障で辛そうな選手。
キャラ変更出来ないまま見た目老けても若いままのキャラの選手。
振りじゃなくマジで体を壊しているけど休まず出続けている選手。
活躍する若い世代をみて自分はいらない存在だと自覚しながらいる選手。つらい。

先日はうっかり泣いてしまった。別にファンだった訳でもない選手なのに、観ていて。
そう、ありがたき配信サービスは、毎日の試合の様子が観られるのである。
今シリーズの各地での巡業のさまを。
日々の皆のコンディションと、結果(に伴ういろいろ)を。
全部追える訳なのである。

つらけりゃ観るなという意見もあるだろう。
が、観なくてもそれはゲンジツに起こっていることなのだから、
という理由で私は目をそらさずに観る主義である。
例えそれで気を吸いすぎてバテてしまったとしても、バテるとわかっていても、である。(※プロレスだけじゃなくてね)

きっと私も歳をとったのだろう。
うん、間違いなく私も10も歳をとった。
元々、「そういう目」でみるくせが、プロレスでも、他の興行や舞台でもあった。
書き屋という職業病なのかもしれない。
本でいうところの「行間を読む」、に近いのだろうか。
キャラ。会社。仕事。体。食うこと。人生。演じる。素と本音。……。
いわゆる「行間を読みすぎ」なことは、ええことではない観方ってか受け取り方かもしれない。書き屋の嫌な目かもしれない。
きっと、そんなこと感じたり感じようとしたり感じず、
そんな観方せず、わーきゃーかっこいいとか楽しいとか力もらえるとか言うてた方がきっと素直でいいのかもしれない、うん、きっと演者やレスラーも嬉しいだろうと思う。
けど、でも、私は、「こう」見てしまう。いつも。なんでも。
虚実皮膜の間にみえる(ような気がする)ものに泣いたり笑ったり泣いたり心配したりしてしまう。
〝舞台〟(リング)上の皆の人生とその人そのものに。
ミッキーマウスの中の人の汗に。
歳を重ねたら、より、そんなものが見えて見えて、泣いたりが増えた。
好きな人ファンな人だけじゃなく、直接の知り合いでも、全く知り合いでもなんでもない人でも。
好きな人なら、もう、うわー、わー、とMAXいっぱいいっぱい頭パニックになるほどに。
人生と言うと軽い言葉で悔しくてならないが、そんなものを、勝手に感じて。
いや、それは時に勝手に感じてるが故に間違っていることなのかもしれない、
うん、間違って、己の観方で勝手に泣いているだけのお節介やとんちんかんもぜったいに多いのだろう、てか多い。アホやもん、わし。
(だからこそもっともっと「受け取れる」ように日々私も人間を磨きたいと思っている。まだまだだけど)
でも、どんなひとどんな舞台でもグッときて、マジで、涙が出ることだらけだ。もう一度言う。勝手にな。

体。
しごと。
生きがい。
生きる場所。
食っていくこと。
生老病死と、それでも、心、気持ち、人と人。縁。つながり。

舞台と客席とで出来る熱気と一体となることと、自らの存在を肯定してくれる場所。そのキラキラさと、でも、ゲンジツと。でも、でも、だからやっぱりキラキラさと。

戦っていかねばならないんだ。「仕事」なんだ。
この戦いっていうのは、いろんな意味、おっきな意味での、戦い。
この仕事っていうのは、悪い意味ではなく、仕事。
例えば、「戦い」は、目の前の直接的な敵じゃなく、
人間にとって避けては通れぬ「生老病死」だ。
例えば、「仕事」は、ただ食っていくとか食わせていくということだけじゃなく、
己の社会的だったりいろんな意味でのひとつの場所や存在意義としての仕事だ。
ここで生きてる。ここが、自分の場所。「私」が「私」であれる場所。生老病死と、戦いながら。
そんな≪あなた≫に、だから、客席で観ている我々お客さんも、気持ちを寄せる。寄せて、瞬間、一緒・一体となる。
彼ら彼女らも、それに想いを託すお客さんらも、皆、この瞬間「私」になれて、みんなみんなが、一緒になる。
その瞬間は長くはなく、刹那かもしれないけれど、だからこそ尊い。
そんな尊い瞬間をつくるのは、生身の人間と人間たちで、
だからこそ、私は、今、皆、皆の生老病死、
この厄介でデッカく避けては通れないヤツが、気になったり、悔しかったり、
でも、だからこそ、すべての舞台人とそれを愛する人が、尊くて、愛しい。

だから。

皆、皆が、ちょっとでも楽しく、ちょっとでも楽しい瞬間が多くありますように。
それはきっと、劇場(やホールや体育館)でいうと、「一体となる瞬間」、あの、なんかもうかけがえのない時。
でも、せやからこそ、舞台上の人らの体や心が、ちょっとでもしんどくなくありますように。
生老病死は人にとって絶対に避けては通れないテーマだからこそ、
ちょっとでも、むりなく、いたわり、ちょっとでも我々客席の皆が、
あなた、と一緒におれる時間が長くあれますように。
それでも、あなた、本当のあなたが、いつも、無理なく、楽しくあれますように。
みんな、みんなが、苦いこと苦しいこと痛いこと嫌なことはあって避けては通れないけれど、
でも、だからこそ、もっとちょっとでも、楽しく、いつもわらえますように。一緒に、わらえますように。

プロレスも。
旅芝居も。
そして、ストリップも。
すべての舞台に立つ人と、舞台を見守る人愛する人、
この世という舞台に立つ皆、皆。

アホな私はアホやから、訳のわからんそんなことばかり、思います。

アイラブユー。
そして、皆、今日も本当に、おつかれさま。



(写真は仕事にゆきづまったらやる得意の夜の散歩中になんとなく撮った。
アホやからなんでもかんでも劇場の照明やミラーボールに見えてしまう。
なんでもかんでも劇場に見えてしまう。
皆、皆に光があたり、どんな人をも包み込んでくれる、大好きな場所、劇場。が、ずっと続きますように。皆が元気で笑っていますように。
(って夜こんな訳わからんこと考えて写真とか撮ってる私完全にやばいやつやね、でもでも、この写真、一切加工とかしてへんねんでえ(笑)))


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大阪の物書きでございます。
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
下町・大衆文化も好きです。
女2人の立ち呑み旅、連載中。現在第8回(今月更新)まで更新中。
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