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真逆の解釈でおもしろい / 映画『君たちはどう生きるか』


以前、ジブリ映画『君たちはどう生きるか』を観た感想をあれこれ書いた。

その投稿に対して、あるコメントを頂き、追加で少し考えたことがあったので書く。



コメントをくださったのは、髙橋征志さんという方だ。
ハシゴ髙のほうの髙橋。

最近、コメント欄でよくやりとりをしている。
髙橋さんが何度もコメントをしてくれるからだ。

私は、他の方の記事に自発的にコメントすることがあまりないので、自ら進んでコメントする方達とその勇気を心から尊敬している。


私が先に彼をフォローしたと記憶しているが、正直自信がない。つい最近のことなのに、もう経緯を忘れている。記憶力が悪くて申し訳ない。

確か、彼の言語化に関する記事がオススメに出てきて、読んで、共感したので私がいいねを押したのがきっかけだったはず。違ったらごめんなさい。


彼の固定記事のタイトルは、
大学職員を辞めて出家未遂をした話』だった。

真面目な語り口調だが、なかなかクレイジーな物語となっていてとても面白かった。未遂に終わったとはいえ、十分すごい。凡人の私が経験したことのない世界だった。

仕事辞めてタイの寺院にまで行っちゃうなんて
この人の行動力やべぇな

というのが、私の中の彼への第一印象である。
(もちろん良い意味での"やべぇ"です)



そんな、現代版ペンフレンドのような、バーの常連客のような存在なのだが、映画『君たちはどう生きるか』について書いた私の投稿にコメントをくださった。

同じ映画の感想をかなり前に彼も書いていたということを知って、その記事を読んだ。



彼の記事に、私はこうコメントした。

ところどころ解釈が違っていてとても面白かったので、この記事を引用して自分のnoteで何か書かせていただくかもしれません。


というわけで、ご本人の承諾も得て
今これを書いている。

前置きが長くなってしまったが、
ここから本当に書きたいこと。

どっちの解釈が良いとか正しいとか、そういう話がしたいわけじゃない。自分と違う解釈や感想をネタにまた考えたことを追記しておこうかな〜という感じ。

なるべく正直に書くので、もし髙橋さんをご不快にさせる表現があったら申し訳ありません。何卒ご容赦ください。




主人公の眞人が最後、現実の世界に戻ることを選んだことに対して、髙橋さんはこう書いていた。

 塔の中の世界は「悪意のない積み木の石」に表されるように「穢れの無い理想の世界」の象徴だと思います。
 そしてそれと対比される現実の世界は「悪意のある世界」、穢れも汚れもある汚い世界です。

 つまり、この主人公の拒絶と受け答えは悪意のない理想的な世界に浸って生きることを善しとせず、悪意もある現実世界で泥臭くとも生きることを選んだ、という意味ではないでしょうか。

髙橋さんの記事より


完全同意です。
明らかな対比で描かれていた。


塔の中の世界は
「悪意や穢れの無い、綺麗で美しい理想的な世界」
(鳥がちょっと怖いけど、まぁそれは生物の本能のうちだとして、一旦置いておく)

一方、現実世界は
「悪意、穢れ、汚れもある泥臭い世界」





私は、こう書いた。理解力の無さがツライ。

ペリカンやらインコやら、大叔父さんが作り出したデッカい石?(あれ何?)とか、墓とか積み木とか、禁忌がどうたらとか、初見ではすぐに分からないものがたくさん出てきた。

それぞれ何かを象徴していて全部に意味があるのだろう、ということしか分からなかった。泣

(中略)

一方、眞人は、大叔父の継承のお願いを拒否して、愛する家族や友だちのいる世界でまた生きていくことを選んだ。戦いや悪意のある残酷な世界だろうと。そこが、眞人と大叔父との違いだと思う。

眞人は、元の世界で新しい家族と一緒に生きて行くことを選んだ。現実から逃げずに、前向きに生きて行くことを選んだ。


私も「悪意」や「現実世界を選んだこと」については触れていて、なんとな〜くは分かっていたのだけど、積み木のあたりとか塔の中の世界についてはうまく言語化できなかった。

髙橋さんの文章でスッキリ。
そうそう、言いたかったのはこれこれ。
(ほんとかい)



そして、一番共感したのがこちらの文章の、特に太字の部分。(太字は私が手を加えたもの)

 つまり、無粋ながらこの映画のメッセージを私なりに言葉にすると「清らかな理想の社会を目標にしつつも、現実世界と隔絶して生きるのではなく、現実世界に地に足を付けて生き、仲間たちと共に理想の世界に近づけるように歩んでいく」というのが宮崎駿監督の「私はこう生きる」だと思いました。

 そのメッセージを示したうえで、観客に対して「それで君たちはどう生きるのか」と問うているのがこの映画だと思いました。

髙橋さんの記事より


本当にそうだなぁと思った。


そう思ったら、宮崎駿監督の「私はこう生きる」というメッセージと、こちらへの問い「君たちはどう生きるか」の裏に、こんなメッセージも含まれているような気がしてきた。

現代人たちよ、作られた美しい世界(ジブリ然り、ゲーム漫画アニメ映画SNSなど全ての虚構)にばかり浸ってないで、己の現実からも逃げずに、仲間と共に、地に足つけてこの悪意に満ちた汚くも美しい世界を、生きろ

↑あくまでも私の解釈です



他に、髙橋さんが言及していたのは、少女「ヒミ」がヒロインのポジションとして描かれていたことへの違和感。

ヒミは、主人公・眞人の母親の子供時代の姿で、異世界では眞人と同じくらいの年齢の女の子。

その2人が再会できて抱き合うシーンが「主人公とヒロイン」「相思相愛の恋人」という感じがして、髙橋さんは強烈な違和感を覚えたそうだ。



私は、そこまで深く考えずに観ていて、「やっぱりジブリのハグは良いな!」とむしろ好意的に感じたので、否定的に感じる人もいるのか!と新鮮だった。

確かにヒミは母親だが、この異世界では眞人の新しい友達でもあり、大切な愛する家族、という感じで私は捉えていたし、「抱き合う=恋人」という印象も特には抱かなかった。

でも、確かに言われてみれば、髙橋さんのように受け取る人がいても全く不思議ではない。ポニョとそうすけ、みたいな感じにも見えたし。異性間の愛の表現って難しいね。


もう一度書くが、ここで言いたいのは、どちらの解釈が良いとか正しいとか、そういうことではない。

「同じものを見たはずなのに、こんなにも受け取り方が違うんだね!面白いね!」と、それぞれの違いを楽しみたいだけだ。なぜそう感じたのか、その理由を知ることで、他者や作品への理解をより深めたいだけだ。

生まれ持った気質や、これまでの経験が全く違うのだから、持っている価値観も感じることも考えることも違って当たり前。だから人間は難しくて、おもしろい。


次に髙橋さんが言及されていたのは、主人公がナツコを「お母さん」と認める経緯について。

これが全く分かりませんでした。

 主人公が塔の中の世界に入っていく理由は、アオサギに「母君がいる」と言われたのでそれを確かめるためです。

 さらに主人公はナツコのことを母親と認めていないのは序盤から明らかに示されており、塔の中に一緒に入ったキリコにも「ナツコがいない方が良いと思っている」と指摘されて、そのことには主人公は反論しませんでした。

 ナツコ自身も主人公が自分を拒絶しているのを感じていて、だからこそ主人公が産屋に入った時に主人公に対して「大嫌い」と言い放っています。

 しかし、そのナツコの拒絶からの突然の主人公の「お母さん……ナツコお母さん」呼び。たぶん感動的なシーンなのですが、私はどうしても「え、ちょっと待って、君、いつからナツコさんをお母さんと認めたの?」と困惑してついていけなかったです。

 ここの経緯が分かる方、コメントで教えていただけたら幸いです。

髙橋さんの記事より


これに関しては、私も全く分かりません。笑

「まぁ、人間の心理なんてそんなもんよね、突然コロッと変わったりするよね〜」くらいでスルーしてしまった。分からなかったことをさらに深く考えたい、知りたい、という熱意があまりない怠惰な人間なので…

そもそも、そのシーンを思い出そうとしたが
詳細をあまり思い出せない。

つまり、私の中ではさほど印象に残っていない、大して気にならなかった、ということなのかもしれない。



これだから、観た映画の感想文は難しい。
記憶力が良くないと!
もしくは一時停止できる映像を手元に用意しないと!

映画を語ろうにも、「あのシーンがすごく良かったのに、どんなセリフだったかハッキリ思い出せない」が常だ。私の場合はね。



とにかく私は、「実母に顔がそっくりな継母のナツコさんを、お母さん呼びすると決めたのね。成長したね」とあっさり受け入れてしまった。

どのタイミングで明確な心境の変化があったのか、疑問に思うことすらなく。私の思考の浅さがバレバレだ。

まぁ、「こんな浅い受け取り方する人もいるのか」と一つの考え方として思っていただければ。


最後の、「米津玄師の曲が最後に流れるのずるい」という髙橋さんの言及に関しては、私は米津玄師へそこまで強い思い入れはないので共感はできなかったものの、米津ファンはこう感じながら観ていたのかと勉強になった。


こんなもんかな。
意外と長文になってしまった。


大枠の解釈は同じなのに、細かい部分では真逆の解釈や感じ方をしていたということが分かり、とても面白いなと思った。

映画の見方や、受け取り方に正解はない。
だから、映画っておもしろい。


そして改めて、ジブリはすごい!

将来、もし老人ホームに入ったら、
ジブリ好きの人を見つけて色々と語り合いたい。
(私の記憶力が怪しいが)

きっと、髙橋さんと同じ解釈をした人もいるだろう。

「あなたはどう生きてきた?」と
相手の人生について聞いてみたい。

そんなことを、考えた。

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