大学職員を辞めて出家未遂をした話
平成29年の3月に某大学職員を辞職しました。
辞職を決めたのは、辞職の約1年前でした。
その頃は大学から国立の青少年交流の家に出向して1年過ぎた頃で、初めての種類の仕事を慣れないながらもこなし、おおよそ一年が終わろうとしていた時でした。職場で一息ついた時にふと「ああ、もうすぐ1年が終わるなぁ」という思いが生じました。
すると今度は「こうやって『ああ、1年が終わるなぁ』という思いをあと何十回か続けたら、一生が終わる」という思いが生じました。その思いは、非常な虚しさを伴って生じてきました。なんというか、自分が何もせずに一生を終えてしまうような、そんな虚しさを感じたのです。
そしてその思いが生じた後、続いて「そんな人生は嫌だ。もっと意味ある人生を送りたい」という思いが生じました。当時の私にとって「意味ある人生」には「仏教の修行」というのが重要な要素としてあったので、「仏教の修行に専念する期間を持とう」という結論に至り、1年ほどタイにあるライトハウス(現:ウィリヤダンマ・アシュラム)という修行道場で修行するために仕事を辞めようと考えました。(私にとって仏教がここまで重要であった理由の一つ)
「意味ある人生」を送るために「仏教の修行に専念する期間を持つ」必要がある、というところは、今振り返っても『私にとっては』必要なことだったと思いますが、そのために辞めたのは、かなり短絡的な行動だったと思います。
何より一番問題なのは、仕事を辞めた一番の理由が「仏教の修行に専念する期間を持つ」ことではなく、もっと別な、幼稚で未熟な思いだったことです。ただ、今なら振り返ってそのことが分かりますが、当時の私にはそこまで自分の状況を理解することはできていませんでした。
ところで、私が「仏教の修行に専念する期間を持つ」と思い立った時に修行をする場として考えていた「ライトハウス」は浦崎雅代さんという日本人の女性とその旦那さんのタイ人の元僧侶の方が経営されている瞑想修行場でした。
(ちなみに浦崎雅代さんもタイ仏教に関する話題をnoteで発信されていらっしゃいます。)
さる縁で浦崎雅代さんのことを知り、連絡を取ってライトハウスに挨拶も兼ねて修行のために1週間ほど滞在をさせていただくことにしました。仕事を辞める数か月前の話です。
滞在中、ライトハウスで元僧侶の旦那さんとお話する機会がありました(浦崎さんの通訳付きで)。その旦那さんは元僧侶であった経験から、「修行したいなら、出家という方法もあるよ」というお話をしてくださいました。また、日本人の出家者が居て、他の日本人の出家者を受け入れているタイのダモ寺院というお寺も紹介していただきました。
その後日本に帰ってきて、辞職する日が近づくにつれ「どうせ修行をするなら、いっそ出家したい」という思いが昂じてきて、仕事を辞めた後は出家をすることを決意しました。
そして仕事を辞めて、身辺整理をしたのち、紹介していただいたダモ寺院に行きました。出家にあたり、準備することなどを直接伺うためです。滞在期間はビザの関係で2週間と決めていました。
ダモ寺院は、副住職に当たる方をはじめ数人の日本人僧侶の方がいらっしゃったので、その方々のお話を聞いたり、托鉢に同行したりして、滞在中は生活と修行を共にさせていただきました。(ちなみに、タイなどの仏教国では出家していない一般人(「在家」と呼びます)がお寺に滞在し、出家者(僧侶)と共に修行を行う習慣があります。そういう文化なので在家の私も受け入れていただけた、という事情があります)
ダモ寺院は、周りの人は全て仏教を学び修行していて、自分自身も修行に専念できるという、仕事を辞める前に自分がまさに望んでいた環境でした。
しかし、そうした環境に身を置いているにもかかわらず、滞在していく中で少しずつ居心地の悪さを感じている自分がいました。ただ、その居心地の悪さが一体なんで生じてくるのか、しばらく分かりませんでした。
その居心地の悪さの正体がはっきり分かったのは、あるお坊さんとお話ししていた時です。
そのお坊さんはタイで出家して15年ほど修行されていた方でした。その方はタイで出家する前は、日本で雲水(一カ所にとどまらず、旅をしながら修行する僧侶)を何年かされていたとのことで、タイで出家された後も何年間も山にこもって修行したり、言葉の通じないスリランカに修行のために飛び込んだり(スリランカはタイと同じ上座部仏教国です)している、云わば「ガチ」で修行している修行僧でした。
そのお坊さんがたまたま1週間ほどダモ寺院に滞在されたため、何度かお話を(お説教を?)聞くことができました。
そのお坊さんと対面していると、何かビシビシと迫力みたいなものを感じていました。対面するたびに「これがガチで修行しているお坊さんの迫力か…」と畏怖のような感情を覚えていました。そして、その畏怖のような感情は、私が感じていた居心地の悪さに関係があるということが、後になって分かりました。
ある時、そのお坊さんから仏教についてのお話しを聞いていました。お話を聞いている間中、ずっと私の中にいたたまれなさが生じていました。私が「居心地の悪さ」と称していた感覚もとても高まっていました。そして、そのお坊さんから「仏教は離欲の教えだよ」というお言葉を聞いたとき、私はハッと気づきました。
「あ!俺は『もっと欲しい、もっと欲しい』と思ってる!離欲どころか欲に耽りたがってる!」。
さらに、自分の中に「出家を目指している俺かっこいい」と自分に酔っている心や「立派なこと(出家)をしようとしている俺を褒めてほしい」という承認欲求があることにも気づきました。
それらに気付いた私は、数日の葛藤の後、出家することを止めました。そしてお寺の僧侶の方々に出家を止めることを告げ日本に帰りました。タイのお寺の滞在期間中わずか2週間ほどでの変心ぶりでした。
(ちなみに、わざわざ日本から出家したいと言ってきたのに、あっさりその宣言を翻して出家を止めると言ったとき、その副住職の僧侶の方はめっちゃ驚かれていました…)
今振り返ると、私は出家がしたかったのではなくて、当時の状況から逃げ出したかっただけでした。「当時」とは大学職員に勤めていた時のことです。
私はもともと要領が悪い人間で、大学職員の事務仕事はうまくできていませんでした。周りや上司からの評価も低く、私自身も仕事ができていない自覚もあり、自己評価も低かったです。自分が世の中の役に立っていないと思っていて、今風に言うと、自己肯定感が非常に低かったです。
そんな状態であったので一時鬱病にかかり、カウンセリングや投薬を受けていた時期もありました。そしてそういう状態に陥ったことは上司も把握していたので、その点でも私は評価を下げていました。今だから分かりますが、私は大学側(雇用側)から厄介者扱いされていました(国立大学は基本的に職員の解雇が自由に出来ないので)。
ライトハウスに行った後に「出家したい」という気持ちが昂じてきていたように感じたのは、きっとその時の自分の評価が低い状況、自己肯定感が低くなっている現状を丸ごと大きく変えたいという欲求が高まった、ということだと思います。
「状況を変えたい」から「出家したい」になるにはかなりの飛躍がありますが、当時の私には大学という場の評価軸から仏教の世界の評価軸に変わることで、自分に対する評価を変えたい、自分を肯定できる状態にしたいという気持ちがあったのだと思います。また、前述の「全てを捨てて出家しようとする俺カッコいい」という自己陶酔の気持ちもありました。
それらの気持ちがぐちゃぐちゃにもつれた結果、「出家」という極端な行動に出たのでした。
タイで気づいた時は上記ほど明確に言語化できていたわけではありませんが、自分が本心から出家を望んでいたわけではないことにははっきり気づいてしまったため、出家のために仕事を辞めたのに、「本物の」出家者の方に実際に会ったら出家を止めてしまうことになってしまいました。
そうして日本に帰ってきた男のその後。
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