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コペル君、出てこなかった / 映画『君たちはどう生きるか』


スタジオジブリ映画『君たちはどう生きるか』を観た。

正直、良いのか悪いのかさえ、いまいちよく分からなかった。エンドロール中も「うん、えーと…」っていう感想ばかりが心に浮かんだ。笑

でも、分からなかったから何も書かないのではなく、分からなかったなりにとりあえず思ったことを言葉にしてみようと思う。


そもそも、どういったあらすじなのかなど全く予習しなまま、予備知識ゼロで観たのだけど、「こういう話だよね」という思い込みがあった。

てっきり、数年前に漫画化された『君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎)の「コペル君と叔父さんの物話」をジブリ版で見られると思っていたのだ。(漫画は持っているが小説は未読)


全然、違った(笑)
コペル君、出てこなかった。

主人公の眞人(まひと)=コペル君だと思いながら冒頭数分見ていたのだけど、だんだん「あれ?この話知らないな…この少年コペル君じゃないな」と。笑

『君たちはどう生きるか』を主人公が読んで涙するシーンは出てきたが、この本の内容に触れるわけではなかった。

スタジオジブリ


映画では本の著者に「山本有三」という名前がチラッと見えた。調べたらどうやら山本有三が書く予定だったのが病気?のため吉野源三郎が代わって筆をとることになったらしい。初刊は1937年に新潮社で出版。


↓文春オンラインで漫画の無料公開があった。(いつまで公開だろう?)


また、なぜ原作と違う内容なのに同じタイトルなのかについては、過去の記事にこう書かれていた。宮崎駿のゴリ押しとかじゃなく、若者のアイデアだったのね!

宮崎監督は小学生のとき、教科書に載っていた「君たちはどう生きるか」の冒頭部分、つまりコペル君が叔父さんと銀座のデパート屋上から見下ろして「人間分子の法則」を見いだす場面に強い印象を受けたという。自身の蔵書をスタジオに持参し、若い制作スタッフにも読むよう勧めたところ、作品のタイトルを決める段になって、一人が「『君たちはどう生きるか』がいい」と提案したと明かした。

朝日新聞デジタル(2023年9月4日)記事より



序盤は分かったのだけど、途中から異世界に入り込んで抽象的な描写が多くなり、理解するのが難しかった。

『千と千尋の神隠し』とか『崖の上のポニョ』の最後みたいな、なんだか不思議な世界観だった。

ジャンルは全然違うけれど、フランス映画の『アメリ』を初めて見た時のようなザワザワ感が残っている。


ファンタジーすぎるその世界観についていけず、「えっえっ、待ってどういうこと!?」と思いながら観ているうちに終わった、でもなんか画がオシャレだったし面白かった気がする、また観ようかな、みたいな。

『アメリ』は数年越しに何度か見て、ようやく面白さが分かってきた。最初観た時はかなりぶっ飛んでると思ったはずなのに、何度か観て慣れたら、ストーリーの展開も普通に筋が通ってるように見えるという不思議。笑


最初、とにかく「アオサギ」が不気味で怖かった…。あんなのにしつこくされたら怖すぎて気が狂いそう。笑

でもだんだん素性が分かってきて、キャラも面白くなってきて、最後は友だち。ジブリあるある。(カオナシとかね)

全てのアオサギは嘘つき?



手元に原作を用意できる読書と違って、上映中の映画はセリフなどの細部を確認できないので、映画の詳細についてはここでは省略する。


ざっくりとした印象としては、「イマジネーションが炸裂」という印象だった。夢の中みたいな、自由な感じというか。

夢の中って、起承転結とか因果関係とかメチャクチャなのに、それが当たり前の世界観になっていて、どんどんストーリーが進んでいく。それに近い感覚を覚えた。

ペリカンやらインコやら、大叔父さんが作り出したデッカい石?(あれ何?)とか、墓とか積み木とか、禁忌がどうたらとか、初見ではすぐに分からないものがたくさん出てきた。

それぞれ何かを象徴していて全部に意味があるのだろう、ということしか分からなかった。泣

「え?どういうこと?」「え、何?誰?」とか、いちいち理由を知りたくなったが、それを映画の中で細かく説明してくれるわけでもなく、どんどん話が進んでいって、「なんかよく分からんけどとりあえずそういう世界なのね、オッケオッケ!」と納得するしかなかった。笑


結局、大叔父がいたあの世界はなんだったのだろう。死後の世界とは少し違う気がするけど、生まれる前と死んだ後の命の全てが存在する世界?天国でもあり地獄でもあるような気もする。

ワラワラっていう可愛い奴らがDNAみたいに螺旋状に天に昇っていって「これから上の世界で人間として生まれにいくんだよ」的なことを言われていたが、あれは命の素になる分子?原子?なんだろうか?よく分からなかった。でも可愛い。すみっコぐらしに出てきそう。

ワラワラ


眞人は、もともと賢く意思の強い少年だとは思うが、大切な母を亡くし、心を閉ざして生きる気力を失っていたように見えた。学校にも行きたくないし、投げやりというか。

でも、母が育った家で、母の字で「大きくなった眞人さんへ」と書かれた『君たちはどう生きるか』という本を見つけ、さらには異世界で幼い頃の母である少女ヒミと出会った。

ヒミは、いつか火事で死んでしまう未来が来ることが分かっていながら、「でも私は眞人の母親になりたい」と笑顔で元の世界に戻っていった。彼女は、眞人に出会うため、母親になる人生を選んだのだ。

これら全ての出来事が、母から息子への「眞人さんはこれからどう生きるのですか?」という問いと、「頑張りなさい。強く生きなさい」というエールに思えた。もっと言えば、母だけじゃなく先祖全員からの。


大叔父は、大昔、あの塔の中で突然消えていなくなったらしいが、きっと眞人やヒミのように、ドアを開けて元の世界に戻る選択肢もあったのだと思う。だけど、彼は選ばなかった。

一方、眞人は、大叔父の継承のお願いを拒否して、愛する家族や友だちのいる世界でまた生きていくことを選んだ。戦いや悪意のある残酷な世界だろうと。そこが、眞人と大叔父との違いだと思う。


眞人は、元の世界で新しい家族と一緒に生きて行くことを選んだ。現実から逃げずに、前向きに生きて行くことを選んだ。

ジブリのハグは本当に最高!



他にも色々と謎なところはたくさんあったけど、とりあえず今のところ言葉にできるのはこれくらい。


結論、とにかく抽象的すぎて、やっぱり私にはよく分からなかった。

でも、凡人の私が、天才奇人の宮崎駿監督の晩年の作品を一回見ただけで理解なんて到底無理な話だ。だからこれでいいのだ。

トトロでさえ、見るたびに印象が変わる。子供の頃はメイちゃんに感情移入していたのに、年齢を重ねるにつれ、サツキやお母さんにも感情移入できるようになった。いつかは隣のおばあちゃんに自分を重ね合わせるのだろう。

だからこの映画も、これからの人生でまたきっと何度も観て、その度に受け取るメッセージも変わるのだと思う。それでいいんだと思う。


大事なのは、作り手が伝えたいことを正しく理解できたかどうかではなくて、自分が感じたことをじっくり見つめることや、それを勇気を持って言葉にしてみること、分からなかったことについても自分の力で考えていくこと、だと思う。

観る側は、『君たちはどう生きるか』という問いを投げかけられている側なのだから、その答えは映画の中になんてないのだ。もちろん他人の中にあるわけでもなく、自分の中にしかないのだ。

自分がどう生きるのかは、自分で考えていくしかない。

叔父さんも言ってるしね



『君たちはどう生きるか』
漫画もいいけど小説でも読みたいな。



後日追記:読んだ↓

後日追記:感想の続き↓

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