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読書日記・理解し合えるという幻想

6月27日(火)

ここのところ、ネットフリックスで『あいの里』をずっと見ていた。35歳以上の男女が生涯のパートナーを見つける番組。35歳以上だからこその、結婚観、人生観がとても面白い作品だった。老後の問題、家のしきたりなど、年を重ねたからこその問題が提起され、番組を見ながら自分だったらどうするだろう?かと考えてみるのも面白かった。

番組の中で「恋愛と結婚は別」と宣言している人たちがいて、若かりし頃はわからなかったこの言葉が今は刺さる。恋愛と同じ気持ちで結婚生活を維持することはできない。それを自分の努力不足だと以前は思っていたけれど、恋愛の感情で結婚生活を送ることがそもそも間違いなんだろうな、と番組を見ながら思った。生活となると、そんなに甘いものでは過ごしていけない(と思ってる)。でもこれは個人差があるんだろうな。いつまでも恋愛中の頃と同じような夫婦は確実にいるもんね。

読んでいたのは、ジェーン・スーさんの『闘いの庭 咲く女』

13人の女性にインタビューしたエッセイ。ありきたりな言葉になるけれど、みんな何かしら抱えて生きているんだな、ということがよくわかる本だった。特に脚本家の野木亜紀子さんのインタビューが良かった。野木さんの作品をどんどん見返したい気分。


6月28日(水)

犬の様子がいつもと違うような感じで気になる。体調不良なように思えるのだけど、病院に行くほど悪いのかと言われたらそうでもなさそうで、どうしたものかとクヨクヨしてしまった。食欲もあり、うんちもおしっこも良好で、散歩もグイグイ行くし、この状態で病院へ行っても何しに来たん?と思われるのがオチだろうな・・と思っていた。そんな私を尻目に犬は屁をしたら元気になった。あぁガス詰まりかぁ、なるほど、それは辛かっただろう。よしよし。

読んでいたのは、植本一子さんの『家族最後の日』

私はどうやら植本さんの本を読む順番を間違えていた。『かなわない』→『家族最後の日』→『降伏の記録』の順番が正しかったらしい。先に『降伏の記録』を読んでしまっていたので、植本さんの母親に対する思いに何があったのか気になっていた。『家族最後の日』には、母親と決別する植本さんが書かれているんだけど、これだけで決別するなんておかしいという意見もあるそうでなるほどな、と思った。私も植本さんの本当の気持ちはわからないけれど(そりゃそうだ、私は植本さんじゃないもん)、母親の感情に振り回されて生きてきた苦痛は理解できる。家族だからって仲良しこよしでいられるわけじゃないんだけど、そこを理解できない人って必ずいるんだよね。家族だからこそ話し合えば理解し合える!!もっと向き合おう!みたいなのあるけど、それって幻想だよって思ってしまう。


6月29日(木)

急な思いつきで髪をバッサリ切りに美容院へ行った。短くなってスッキリした。ロングだった髪をショートにしたので、鏡にふとうつった自分の姿にビックリする、ということを2回やってしまった。髪の短い自分だとは気づかずに、知らない人が家に居る!!と本気でびびった。小心者すぎる。

読んでいたのは、垣谷美雨さんの『行きつ戻りつ死ぬまで思案中』

垣谷さんのエッセイ。小説の面白さはもちろんなんだけど、エッセイもとても面白くて、しかも本当に痛快でとても良かった。本の中に「子供はまだかと脅迫する世間」という話があった。

───老後は誰に面倒をみてもらうの?
 この言葉ひとつを取ってみても、脅し以外の何物でもない。現実を見れば、子供に生活費の面倒をみてもらっている年寄りがどれくらいの割合でいるというのだろう。私の周りでは聞いたことがないのだが。

『行きつ戻りつ死ぬまで思案中』より引用

この「老後は誰に面倒をみてもらうの?」というセリフ、私も言われたことがある。結婚して6年間ほど子どもがいなかった私は、子どもを持たないことを大いに責められたし、子どもを持つことの良さを多大に教えていただいた。それは今でも余計なお世話だったと思っている。

子どもがいるいない関係なく、私は一貫してずっと「自分の老後は自分でどうにかするしかないだろうよ」と思っている。誰かの助けは必要になるかもしれないけれど、それは子どもである必要ってどこにあるんだろうか。ここにも家族だからこそ助け合うという幻想がまとわりついているような気がしてムズムズする。自分の幻想を人に押しつけるような人になるのだけは、絶対にやめようと思った。うん。

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