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ありのままの呪い

「ありのままの自分を愛そう!みたいなのって、暴論だよね」
という話を聞いて、そう思っても良かったんだ!!と、ひとりで興奮していた。

生きづらいのは、自分を否定しているからであり、ありのままの自分を愛せるようになったら生きづらさがなくなる、なんて話を見聞きするようになってから、私自身も「ありのままの自分を受け入れなくては!!」と息巻いていたように思う。

けれども、ありのままの自分を受け入れて愛するのは本当に難しくて、どんな自分でもOKだと思えばいいという、その言われていることは理解できるんだけど、実際にどんな自分にもOKを出すことが、まったく一ミリもできずにいた。

自分に厳しすぎるのがよくないんだろうと思うものの、しかし自分への厳しさを忘れてしまったら怠惰な自分しか残らなくなるし、そうなったら人として終わりだとずっと思って生きてきた。たぶん、自分への期待値が高すぎる。自分はもっとできて当たり前だと思ってる。そんなにできる子じゃないのに。


「やればできる」とか「あなたはできる子」みたいに言われることって誰しもあったと思うけど、あれも呪いの言葉のひとつだよね。「できる」が当たり前に存在していて、「できない」は一切認められない。そしてその「できる」と「できない」を決めているのは他者であり、自分ではないという事実も根深い問題として残っているような気がしてならない。

「できない」自分もまるごと受け入れるというのが、ありのままの自分を愛するってことなんだろうけれど、「できない」を否定し続けた人間が「できない」を受け入れるようになるなんて、それはもう自分以外の人になるしかないのでは? それってもはや自分じゃないのでは??


別にいまの自分を受け入れられなくてもいい。そんな風に思うほうが生きやすくなるのでは? と思うようになったものの、でもそれを大っぴらに口にするには勇気が必要だった。「受け入れない」というのは否定にあたるから、自分を否定しているように見えることがイヤだったのかもしれない。

けれど自分のイヤなところは、イヤで終わっても良いと思う。それを直そうとか、改善しようとしていくことは素晴らしいと思うけど、みんながみんなそれに向かっていく必要はないと思う。

なんでもそうだけど「これが正解です!」と声高に叫ばれるようなことって、本当に自分の正解なのか、考えていったほうがいいんだよね。大きな声に流されていくほうがラクなような気がしてたけど、長いこと他人の意見に流され続けてみてわかったのは、他人の正解はどこまでいっても他人の正解だってこと。自分の正解があるかどうかはわからないけれど、とりあえず他人の正解は自分の正解じゃない。それだけは覚えておきたい。

そんな最近の読書は『本を読んだら散歩に行こう』

ちょっと前に読んだ村井さんの『全員悪人』が面白かったので、村井さんの本をもっと読みたいと思い、手に取ってみた。

どなただったか、
「翻訳家さんの視点は人と違うので、その視点で描かれた文章はとても面白い」
と仰っていたのだけど、たしかに翻訳家の村井さんの文章は読みやすいうえにとても面白い。

『本を読んだら散歩に行こう』では、村井さんが考えたり悩んだりしたときに読まれていた本たちが紹介されていて、村井さんの悩みなども興味深いんだけど、紹介されている本たちも魅力的で、とにかく本が読みたくてたまらない状態になっている。


そして村井さんの新刊が、もうじき発売されるとAmazonが教えてくれた。
こちらも読みたくてたまらない!!発売日が待ち遠しい。

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