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読書日記・錯覚を作り出しているのかもしれない

9月2日(土)

色んなものを捨てたい気持ちが強くなったので、押し入れなどを物色し、いらない物を捨て始めた。思い出のあるものを捨てるのには躊躇する・・と思いきや、意外にバッサバッサと捨てている自分がいて、こういう時の私はとても思い切りが良い!と思うものの、何日か経ってから捨ててしまったものが必要だったことに気づくことも多く、どうやら私は思い切りの良さがあるわけではなくて、捨てるか残すかを考えるのが面倒だから全部捨ててしまえ!!!といった、後先を考えない行動をしているだけなんだと気づいて途方に暮れた。よく考えろ!私!!

読んでいたのは、稲垣えみ子さんの『家事か地獄か』

便利なものっていうのは「自分」を見えなくするわけですね。本当の自分は案外ちょっとのことで満足できるのに、えらく大掛かりなことをしないと満足できない、幸せが得られないかのような錯覚を日々作り出していくという恐ろしい側面を持っているのであります。

『家事か地獄か』より引用

「自分」が信じている幸せは、錯覚が作り出しているのかもしれない。そんな風に思ってみると、便利なもの、便利な世の中が本当に必要なものなのか、と問いたくなる。便利だから良し!という気持ちだけで生きてきた私にとって、稲垣さんの視点は目から鱗がボロボロと落ちまくるので嬉しくなる。


9月3日(日)

物を捨てることを「もったいない」と思っている夫。しかし部屋がゴチャゴチャしていることにはイライラするらしく、ゴチャゴチャしているように感じるなら物を処分しなければいけないのでは??と提案すると、きちんと物を片付ければいいだけでは?という意見をちょうだいし、整頓された部屋に住みたいという、最終的に行きつきたい場所は夫婦で一致しているのに、見ている世界がお互いに違うため、意見が平行線になるのが毎度おなじみの光景。妥協点を見つけたい。

相変わらず『家事か地獄か』を読む。

物欲のかたまりである私にとって、稲垣さんの思考はとても素敵で憧れる。

「買う」=「家事が大変になる」、つまりはモノが増え、生活が複雑になり、掃除や整頓が大変になるという悪循環のスイッチオンでしかないという超ネガティブイメージが真っ先に思い浮かぶということになってしまったんである。

『家事か地獄か』より引用

だから物を買わないんだという稲垣さんのように、私もなりたい。でも考えてみれば超面倒くさがりな私にとって、家事が大変になるというのは最悪のことである。物を増やさないことが自分を救うのだと考えてみると、物を買うことに対しての興味が薄れていく気がした。この調子で物欲とおさらばできるとありがたい。


9月4日(月)

「本当に毎日やらないとダメなこと」って何だろうな?と考えていた。たとえば、毎日ていねいに掃除をすることは本当に必要なことなのだろうか? たんにサボりたいだけの話に聞こえるけれど、「ホコリで人は死なない」とか言うし、ササッと掃除してたま~にていねいに掃除するとかじゃダメなのかなぁ?といったことを、サボりたい気持ち満載で考えていた。

読んでいたのは、市川沙央さんの『ハンチバック』

健常者にとっては、本を開くことも、本を読み続けることも、特に問題とはならないけれど、身体障害を持っている人にとって、本を開くこと、本を持ち上げること、ページをめくることなど、あらゆる場面で大変な労力が必要であるということに気づかされる。

世の中は健常者にとって住みやすいように作られているという、考えるまでもなく当たり前のことを改めて感じた。私には身体障害者である娘がいるので、その辺は理解していたつもりだったけれど、私自身は健常者であるがゆえに、娘の苦労を本当の意味で理解してやることは難しいことにも改めて気づく。

この本を読みながら著者である市川さんの怒りを目の当たりにしたのち、言葉にし難い怒りを娘も抱えているのかもしれないなと、ぼんやり思った。

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