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人任せでいるほうがラクだけど

何年か先に、小学校の授業で宿泊学習と呼ばれるものがある。そのとき、子どもたちだけでカレーを作ることになっているので、家でも包丁の練習などをしておいてほしいと言われている。

なので息子に「料理の練習をしようね」と声をかけたのだけど、息子は
「大丈夫だよ、料理している人の手伝いをすればいいんでしょ」
と答えたのだった。


これを受けて気づいたのだけど、人っていつから当事者意識が生まれるんだろうか。息子にとって「料理=手伝い」であり、自分が率先してするものではないという認識のようだ。そりゃそうだよね、料理が自分の仕事です!なんていう子どもは滅多にいない。むしろ小学生のころから「一家の食事を任されています!!」なんて子がいたら、ヤングケアラーなどの問題に引っかかりそう。知らんけど。

そもそも子どものころって、何をするにも「手伝う」という感覚なのは当然のことなんだよね。家事がどういうものかを知るには、まず「手伝う」があって、その「手伝う」を重ねたあとで「自分事」になっていく・・・はずなんだよね??


とりあえず息子には、料理は手伝うものではないということを伝えた。息子も「料理は手伝うものじゃない、自分がやるもの」だと理解してくれたようだ。将来もし息子が結婚して、家事は「手伝う」ものだと思わないようにはしておきたい。一生独身だとしたら、なおさら家事は必要不可欠になるし、変わってくれる人もいないのだから、一人で一通りのことはできるようになってほしい。
どちらにしても「自分事」として認識していてほしい。誰かを「手伝う」という感覚では、きっとあれこれ問題が発生すると思うから。

家事を上手にこなそうと思わなくてもいいから、とにかく人任せにだけはなるなと息子に伝えている。人任せで「手伝う」感覚でいるのは、自分で責任を取らないってことで、自分で責任を取らない人は、何でも他人のせいにして、その他人を責める人になりやすい。それは他でもない私自身がそういう人間なため、私のようになってほしくないという願いがこめられている。

息子に願いをこめるよりも、まずは己をどうにかしたら良いのでは?(大正解)

そんな最近の読書は『エアーズ家の没落』

謎が膨らみきったところで上巻を読み終わった。

これ、創元推理文庫なのだけど、なんども「え?ホラーだっけ???」と思ってしまうぐらい不気味な内容。たんにホラーが苦手だからそう思うだけかもしれないんだけど、とにかく暗くよどんでいるお話でビックリ。

子どものころに憧れたエアーズ家の館を、大人になり医師として訪問したファラデーは、かつての栄光の影すらなくなっているエアーズ家の姿に驚きつつも、エアーズ家の3人との時間は、大事なものへと変化していく。しかし館の異変が徐々に大きなものへと変化していく・・・。


暗くて不気味な内容なのだけど、作品自体が面白いのか、翻訳が良いのか(どっちもだろうな)、悲惨な描写があって目をそらしたくなるのに目が離せなくて、毎晩、夜更かししながら読み進めている。目が離せない読書ってのは本当に幸せだ。本の内容はぜんぜん幸せじゃないし、めちゃくちゃしんどい部分もあるのに(動物を飼っているかたは読まないほうがいい)、本を読める幸せを感じられるのは我ながらスゴイと思う。

さて下巻ではどんな動きがあるやら。楽しみでもあり、読むのが怖い気持ちもあり。ふくざつ。個人的には、とある人に不信感があるのだけど、その辺りの謎も含めて、下巻でいろいろと解明されるとうれしいな。

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