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【読書日記】2021年12月5日

昨日、岸本佐知子さんの翻訳本を読みながら、翻訳小説は翻訳する方によって、景色がめちゃくちゃ変わるんだろうなと感じて、でもその前に原文が読めるようになったら良いな、なんて考えていて、英語の勉強かぁ・・と肩を落としていた。

そんな今日は『歓待する文学』を読んでいた。

この本の中で、村上春樹さんの話があった。
村上さんはデビュー作の小説を、まず英語で書いてみて、それを自分で翻訳して日本語に直し、「独自の文体」を発見したと書かれていた。ファンには当たり前の話かもしれないけれど、全く知らなかった私はビックリしてしまった。

私は村上春樹さんの小説を読んだことが無いので、文体のことは分からないけれど、「独自の文体」を作り上げる裏側にそんな経緯があったことに、強く惹かれてしまった。

英語が読めるだけでなく、英語で文章を書くなんてことが出来るなんて、私には想像もつかない。

けれども『歓待する文学』には、明治以降の小説家たちの多くは、英語を原文で読むことが出来たと書かれていて、もしかしたら私だけが英語が読めないだけなのではないか、と思ってしまった。きっと違うはずだと信じたい。

「オリジナルの言語で本が読めたらいいな」と考えたことは幾度もある。けれどそのたびに、「だからといって英語の勉強をするなんて面倒だなぁ」と諦めてきた。

でも今は、きっと長い老後なのだもの、一つぐらい勉強してみても良いのではないか?諦めてしまう可能性も高いけれど、ちょっとずつでも英語の勉強をしてみようか、と考え始めた。

英語で分からない単語は山のようにあるだろうけれど、日本語だって分からない単語があるんだもの、分からなければ調べたら良いんだよね、と思いながら、しかしこの日は日曜日。子供たちの相手が最優先事項なため、勉強は見送られた。このまま勉強に手をつけずに終わる、なんてことのないように気をつけたい。

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