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[修行日記②] 震災で訪れた転機

―3.11、その日

 香花堂で店の手伝いをしていた時に地震がおきました。激しい揺れではありましたが店舗の商品にはほとんど被害はありませんでした。ただすぐに停電になり、電動シャッターを下ろすことができず施錠できなくなってしまい、停電が復旧するまで店舗で寝泊まりをしていました。

地震から一週間程たったころ霊柩事業者の団体から「被災地で霊柩車が必要なので協力してほしい」という内容のFAXが届き、その数日後、身の回りの物やパン・飲み物等を搬送車に積み込み、父と被災地に出発しました。

 私たちは気仙沼市に向かいました。道路わきの木の枝には家財や洋服が引っかかっていたり道路も海水と油が混ざったような泥で覆われていました。屋根の上に車がのっている情景には恐ろしさで言葉を発することもできませんでした。

 当時、学校の休育館がご遺体安置場として使われていました。そこには一〇〇以上の柩が並び、ある柩の上には赤いランドセルが置かれていました。津波によってこんなに小さい子の命まで奪われてしまったのだと思うと胸が締め付けられる思いでした。

 当時は火葬の手配も混乱していて、なかには自家用車で火葬場まで運ばれるケースもありました。搬送を担当させていただいた中に、奥様と娘様を亡くされた方がいらっしゃいました。体育館から丁寧に柩を搬送車までお運びし、他社の搬送車と二台で同じ火葬場に向かいました。お葬式をすることもできず、お経をあげてもらうことすらできませんでした。ご主人は大切な家族を二人同時に失い憔悴し、車内でも言葉を発することはありませんでしたが火葬場に到着し柩を下ろさせていただいた時、ご主人が「霊柩車で運んでいただきありがとうございます。」と一言だけ言って下さいました。火葬場に着くまでの静かな数十分が、大切な二人の事を思いながらご自分なりの「ご供養の時間」と感じてくださったのかもしれません。

東日本大震災時の様々な経験が、私が葬儀に関わる仕事に就こうと思うきっかけとなりました。

(第三回に続く)

齊藤崇広
平成2年新庄市生まれ。
曹洞宗大本山永平寺での修行を経て、現在は横浜の寳袋寺で納所中。

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