多様性は「多様性と言う考え方のうちのひとつ」でしかない
朝井リョウさんの「正欲」を読了した。読むのは今回が2回目。初回は約2年前、大学3年生の時。
読もうと思った動機は、友達が書いた、自身のおすすめの本を紹介したnoteを読んでいた時、ふとこの本を思い出したから。今回は、2日間で読破してしまった。
私は以前、この本を電子書籍として購入し、心が動いた部分には、(搭載された機能を用いて)本文にラインマーカーを引きながら読み進めていた。今回も、マーカーの色を変えて線を引きながら読み進めた。
読み終えた今、気付きとして言えるのは、初回時と今回では、自分の心が動いた部分には、幾つかの変化があったと言うこと。
同じ箇所も勿論あったが、今回初めて線を引いた箇所の方が圧倒的に多かった。この1年間で、私の心もそれまでと比べて、より成長しているのかもしれないと思った。
このnoteでは、私が今回、線を引いたもののうち、幾つかを抜粋して、その文章に対して感じたことや考えたことを、書いていく。
始めに
全体を通して思ったことは、
多様性は「多様性と言う考え方のうちのひとつ」でしかない
と言うこと。
「多様性」と言う言葉について
多様性と言う言葉は、色々あるうちの考え方の一つでしかなく、それに固執することは、それこそがある種の「思考偏重」なのかもしれないと思った。
文字通りの意味で、心に刺さった。自分の想像すら及ばないようなことを考えている人が、この世には確実に存在するんだと思った。
言葉にされているものだけがすべてではない
言葉にされているものだけがすべてではない。寧ろ言語化されていないものの方が多いのかもしれないと考えた。
感情は誰にも制限できない
感情や思想は、誰にも制限することができないんだと思う。だからこそ、「それが唯一絶対の正義である」と翳した言動を取るのは、違うのかもしれないと思った。
読了から一晩明けて、比較的自分の頭が整理されたかなあ~と思ったので、書いてみることにした。
読んでくださってありがとうございます。
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