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多様性は「多様性と言う考え方のうちのひとつ」でしかない

朝井リョウさんの「正欲」を読了した。読むのは今回が2回目。初回は約2年前、大学3年生の時。

読もうと思った動機は、友達が書いた、自身のおすすめの本を紹介したnoteを読んでいた時、ふとこの本を思い出したから。今回は、2日間で読破してしまった。

私は以前、この本を電子書籍として購入し、心が動いた部分には、(搭載された機能を用いて)本文にラインマーカーを引きながら読み進めていた。今回も、マーカーの色を変えて線を引きながら読み進めた。

読み終えた今、気付きとして言えるのは、初回時と今回では、自分の心が動いた部分には、幾つかの変化があったと言うこと。

同じ箇所も勿論あったが、今回初めて線を引いた箇所の方が圧倒的に多かった。この1年間で、私の心もそれまでと比べて、より成長しているのかもしれないと思った。

このnoteでは、私が今回、線を引いたもののうち、幾つかを抜粋して、その文章に対して感じたことや考えたことを、書いていく。


始めに

全体を通して思ったことは、

多様性は「多様性と言う考え方のうちのひとつ」でしかない

と言うこと。

「多様性」と言う言葉について

多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ。自分は偏った考え方の人とは違って色んな立場の人をバランスよく理解してますみたいな顔してるけど、お前はあくまで"色々理解してます"に偏ったたった一人の人間なんだよ。

多様性と言う言葉は、色々あるうちの考え方の一つでしかなく、それに固執することは、それこそがある種の「思考偏重」なのかもしれないと思った。

「多様性とは、自分の想像力の限界を突きつけられる言葉のはず」

文字通りの意味で、心に刺さった。自分の想像すら及ばないようなことを考えている人が、この世には確実に存在するんだと思った。

言葉にされているものだけがすべてではない

「誰かに名付けられている苦しみがこの世界の全てだと思っているそのおめでたい考え方が羨ましい」

言葉にされているものだけがすべてではない。寧ろ言語化されていないものの方が多いのかもしれないと考えた。

感情は誰にも制限できない

「或るものを性的なものだと定義することは簡単だ。だけど、或るものを性的だと"思う"ことを制限することは誰にもできない。Aを見てBだと"感じる"ことに、口出しできる人は、どこにもいない。」

感情や思想は、誰にも制限することができないんだと思う。だからこそ、「それが唯一絶対の正義である」と翳した言動を取るのは、違うのかもしれないと思った。




読了から一晩明けて、比較的自分の頭が整理されたかなあ~と思ったので、書いてみることにした。

読んでくださってありがとうございます。

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