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大学を卒業することが怖い

卒業したら、本当に全て、終わってしまいそうで。終わりにしてしまいそうで、怖いんだと思う。

ならばいっそのこと、その前に。卒業前に一刻でも早く、全てを終わりにしてしまいたくて、この手で全てを、壊してしまいたくて。そんな衝動に駆られることが最近多い。

大学を4年で卒業すること。それは私にとって、世間一般よりもずっと、大きな意味を持つものだったと思う。

それこそ私の幼少期からの、人生における夢でもあった。大学生になることは、小学生の頃からの夢だった。大学生になると決めたのも、大学を留年しないで4年で卒業すると心に決めたのも、全部小学生の時だった。どうしてこんなに具体的なのかと言えば、物心ついた時から、父親から自身の経験談を聞かされ続けてきたから。

父親には、かつて大学をニ留して中退した、と言う事実がある。でもだからと言って、私の思想をそのせいにしようとか、そういうのではなくて、これはあくまでも父親を反面教師にして、私が自分で決めたことだった。

そのおかげで、今までいじめられようとも、人間不信になろうとも、うつ状態になろうとも。大学以前の私にとっては「大学生になるため」、大学生になってからは「4年で卒業するため」とそれぞれ明確な理由(ゴール)があったからこそ、何度立ち止まっても、私はまた、前に進めてきたんだと思う。

だけど今の私はどうだろうか。今、そのゴールが目前にあって。あと少しでテープを切れるのに、脇道へ逸れようとしている。それまでの頑張りを、努力を、無いものにしようとしている。そうだ、無いものにしてしまえばいいんだ。私なんか価値も権利も持ち合わせていない人間だから。そう思う一方で、それは虚しくないかと問いかける私がいて。

今までどれだけ周りの人に、私は助けられてきたと思っているの?命救われてきたと思っているの。そう問いかけてくる。

友達、先生、家族。私の大好きで大切な人達。今の私がすべきは、その人達への恩返しならぬ、恩送りなんじゃないのって。当日まで生きて、元気に卒業式を迎えられましたって、周りの人にしっかり示す。それが私のすべきこと。最優先事項なんじゃないのって。

別に、自分のために生きなくたっていい。生きる理由なんて、精々、人のためでいいじゃんって。よくも悪くも、私は人のために動くことが、性分に合っているみたいだから。自分なんかのために、私は生きられないから。

分かっちゃったんだ。私は人の笑顔見られた時が、いちばん嬉しくて、生きててよかったって思えるんだって。人の役に立てた時、死ななくてよかったって思うんだって。

そんな綺麗事は思うくせに、どうして私は根本的に、働くことが怖い、と思うんだろう。私は価値のない存在だから、居るだけ邪魔だから。そんなふうに思い込んでしまうのだろう。そんなことは無いって、今までたくさんアップデートしてきたはずなのに。

私が人生において、初めて心から"ここに居ていい"って思えた、大学と言う居場所を巣立っても、また新たな居場所を見つければいいだけ。それがどんな形になるのかは、今はまだ分からないけれど。それでも、そんなに焦る必要は無いんじゃないのかなって思う。

もちろんnoteだって、居場所のひとつ。でも居場所はひとつではなくて、複数持っていたいという欲望。


気持ちの書き殴りを読んでくださって、ありがとうございます。

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