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父とユニクロと闘病を共に過ごした日々

ここ半年で5キロ太った私。


そう、ストレスを言い訳にご飯やおやつを食べる。ゆえに手持ちのパンツ、デニムがはけなくなってしまった。
先日ユニクロで良いパンツに出会いなんとかLサイズがはけて購入してきました。

ユニクロに一緒に服を買いに行った日を思い出したので・・・。

2020年12月に見送った父の話を少し書こうと思います


2018年3月に喉頭癌が見つかり
2018年6月に大きな手術をしました、声をとる選択しかない状況でした

肺もほとんどが機能していないし、心臓も肥大してる
手術に耐えれるかどうかわからない高齢、当時83歳ということで

手術に向けてガン以外の検査もいく種類も続き
往復2時間(高速)を何十回も行き来し長い時間を父と共に過ごしました。私は仕事もしながら、急なお休みもいただきながら
父と共に通院する日々が続きました


大学病院での待ち時間に寝てしまう父の写真

病院で大変なのは待ち時間も大きいです。続く検査の疲れと長い走行時間。自分も1年前に大きな手術をして自分の身体もままならないけど
親をみるということはそういうことでもあります

自分も年を重ねているのです。自分もガタが来始めている。

その後、手術をして2ヶ月入院。
退院の前日には主人が長年務めていた義理父の代から続く
主人兄が経営する会社から倒産を告げられまして。(青天の霹靂)

何が起こったのか、理解もできずに
退院する父を迎えにいきました。一睡もできず吐きながら病院へと記憶しています。

その後は1年ほど訪問看護さんが週3回我が家に来てくださり
順調に過ごせたかのように見えていました。
声帯を取る手術は肺から呼吸をするため首のあたりに1センチほどの
穴が開きます
。そこに水を入れたら溺れてしまうことになるので
お風呂の介助がいるのです。1人ではお風呂に入ることは難しいことになります。また肺に詰まった痰の吸引もしなければいけません
痰が固まれば呼吸ができなくなります。

週3回、看護師さんが来て1時間ほど体調管理とお風呂の時間を過ごします
主人が職を失い、私も収入面でパートを休むこともできず
色々と疲れ切っておりましたが、他人が家に入ることのストレス以上に
助けていただいた感謝の気持ちが今もあります
本当に助かりました。

父とユニクロ


ここまで書いたお話はほんの一部です

パートの合間にできたすきま時間は
声を失い、免許も返納して家に閉じこもる父とできるだけ買い物へと出掛けていました

父はおしゃれさんで自分の着るものにこだわります
そんな父が好きでした(我が家に居候する形で約20年間同居でしたので好きでは終われない日々の出来事はてんこ盛りですが)

ユニクロでパンツを買うというのでついていくと
裾がゴムになった洒落たパンツ(ジョガーパンツ)を選んでおりました
それがなかなか似合っていて、それにミリタリーのジャンバーを羽織って
お気に入りのキャップを被る

ジョガーパンツコーデの父。

写真の手に持っている紙袋は外出に欠かせないもので
首に開いている穴(呼吸)にほこりが入らないように常時ガーゼを当てていて(写真下参照)たまに飛び出るタンをふきガーゼを変えるため用具です

カフェで二人お茶タイム

1年も過ごした頃、ある日を境に父の様子が変わり始めます。(またそのお話はいつか)


まだ、思い出すのが辛いけど
今となっては慌ただしくも愛おしい時間だったかもしれません

そして私の両親の面倒を最後までちゃんと見てくれ一緒に見送ってくれた主人に感謝の気持ちでいっぱいです。

先日ユニクロにいき、ほんの2年前のことを思い出して今朝は布団の中で
少し涙が。

さあ・・明日もお仕事です
またnoteも更新して気持ちを少しだけでも整理できたら
明日も頑張れそうです。







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