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ヒトリボシ (5)

健一に膝蹴りを食らった。
順子の冷たい指先がほんの少しチョンと健一の体に触れた瞬間だった。
目の前が何も見えなくなり、何が何やら。床に臥せって唇を押さえ、ただ涙がこぼれた。

順子は健一が病気して以来、泣くことはなかった。泣くだけではなく、口は常に食いしばった状態で欠伸さえ出なくなった。
緊張の日々で涙が出ない。

「涙が出るうちはまだいい」

ずっと涙を流すこともなく過ごしてきた順子が唇の痛さに嗚咽している。
そして、娘達が離れて行った寂しさや憤りまで吹き出し、大声を出して子どものように泣いた。
いくら頭の中で、
「娘達はちゃんと自立できた」
と自分に思い聞かせようとしても、心や体が納得できない。
二人は私の宝物。

子育ての二十数年、自分より夫より「子どもファースト」の生活で自分のしたいことを一杯辛抱してきた。
こんな思いをするために今まで「明日のために」「明日があるから」と頑張ってきたのか。今は常に明日のための辛抱、我慢の連続でしかなかった。
健一の病気以上に娘達が離れて行ったことが寂しく、許せない。
しばらく蹲り、動けず、涙がボタボタ床に落ちた。

きっと泣き声は家の外にまで漏れてしまっていただろう。結局、道行く人、近所が気になり、泣き止み、床にこぼれ落ちた涙を拭いた。手鏡で口を見ると唇は腫れて膨れ上がっていた。涙を流した目も腫れているだろう。顔はクチャクチャだろう。そんな自分を見たくなく、すぐに鏡を置いて、健一を見た。

健一は謝りもせず、平気な顔をしている。
「病気のせい?」 
いや、元々こういう人なのだ。

世話をしていて気に食わぬことがあったのだろう。健一はツバを吐いたこともある。
「天に向かってツバする者は」で順子にまでは掛からず、結局、仰向けに寝ている健一の顔にツバは落ちた。
「一生懸命やっているのに、よくも」
と健一に腹を立てながらも、拭いてやるしかなかった。
「性格を治せば、病気も治るのでは?」
そもそも健一がこんな病気になったのは、性格のせいだ。

健一は病気する前、夫婦喧嘩で口で勝てなければ、手や足を出した。力関係が逆転してしまった今でもベッドの上で動かせる限り手足を振り捲る。筋肉はすっかり落ちてしまった健一だが、骨太で鉄骨のような手足に当たるととても痛い。

「虐待」

それは「世話する者がする」とばかり思っていた順子は初めて「逆バージョン」があることを知った。
指は腱鞘炎になり、ギックリ腰の持病を持ち、何回も体にロックが掛かりながらも耐えて、健一の世話している。この上、いつ出るかわからない手足のためにマウスピースの着用も必要とは。
「どうぞリハビリよりボクシングジムへ」

順子には健一の「病気」と「性格」の境界線がわからない。自分からは謝ろうとしない健一に無理やり謝らせる。
そして、やっとしぶしぶ健一が、
「ゴメン」
と一言。
救われない。
 
    ※

健一の面倒を看ながら、いつも思う。
「夫と私がもし立場が逆だったら、私をどうしているだろう?」
と。
在宅介護と一言で言うけれど、体のケアだけでも重労働なのに、少しでもリハビリをと毎日、一緒に「パパパパパ」「タタタタタ」「カカカカカ」「ラララララ」と声を出し、舌を動かし、嚥下の練習をする。食事の用意もし、一口ずつ咽ないように健一の口に運ぶ。

そして、後片付け、洗濯、買物、掃除もある。
デイサービスやショートステイの荷造りや準備も大ごとで、送迎時には道行く知らない人までもが健一の車の乗り降りを立ち止まってまで凝視し、その都度、夫が好奇の目に晒されるのに耐えなければならない。

更に、健一にとって大の苦手の手続きや書類が山ほどある。
「それを一つひとつこなせる?」
常にアンテナを張り巡らせていないと、提出期限もあるし、知らずにいて給付して貰えるものも貰えないことが一杯ある。

「お金の管理はできる?」
健一は金銭的なことを結婚以来、全て順子に任せてきた。
「通帳がどこにあるか、暗証番号は何か知らないよね」
今まで興味、関心を示すことのない健一にわざわざ伝える機会もなかった。

健一はきっと私の枕元で
「通帳は?」
「印鑑は?」
「暗証番号、早よ言え!」
と喚き散らしているだろう。

「そもそも私を在宅で介護すること等できるだろうか?」

健一が車イスで出入りしやすいように、納戸にしていた一階の部屋に介護ベッドを入れることにした。そのために、
「この大量の荷物をどうしたものか」
と途方に暮れつつ、婚礼箪笥を三竿処分した。大切な箪笥が無残に撤去されるのを目にすると何の躊躇いも無くなり、残り全てを捨て部屋を空っぽにした。エアコンも付け、扉も引き戸に替えた。
窓の障子の張替えは小百合がした。初めてにしてはなかなかの出来栄えで日当たりの良い、こざっぱりした部屋が用意できた。

「健一さん、あなたにできる?」
決して腕力ではない。
気持ちと知恵を絞り、用意した。

「私を在宅で面倒看ようと言う気持ち、ある?」
在宅介護が一番良いとも言えないだろうけれど、
「僕が妻の面倒を看る!」
と言う気持ち。
「そんな気持ち、健一さんにある?」

健一なら、私をリハビリ病院から即、施設にほうり込んでいただろう。
他人任せで妻がほったらかしにされていようとお構いなしできっと施設のスタッフさんに、
「どうもぉーー お世話になってます」
なんて言って、愛想振り撒いているだろう。そして、スタッフさんは私に
「良いご主人ですね」
と。
笑える。

そして、施設に面会に来ることも次第に足が遠のいていって、たぶん家には女が入り込んでいるだろう。

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