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『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』に思うこと

今回は趣向を変えて、心に残る作品について独白します。

まったく体系的に書いていません。ただの「私的なつぶやき」です。
よろしければお暇なときにでもご覧ください。

ドラマとの出会い

『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』
久々の「推し」です。

まずはあらすじについて(以下、公式HPより):

物語の舞台である“電車内”は、老若男女、様々な人が毎日、見知らぬ人と近い距離を共にする、いわば【日常】と【非日常】が接する空間ともいえる。他人の目ばかりを気にして、でも気にすることに疲れ、誰かが苦しんでいると「それに比べれば自分はいい方」だと安心し、他者が責められているのを見ると「自分は大丈夫だ」と安心する。そんなそれぞれ異なる悩みを抱えた登場人物たちが突如【日常】を奪われ、何もかも遮断され【ペンディング】された【非日常】の世界の中で、昨日まで赤の他人だった人々と共に生き抜くことに。偶然か運命か・・・!
生き抜くためのサバイバル生活を通して生まれるのは、憎しみ、欺瞞、それとも、信頼と愛か? 何もないからこそ、見えてくるものがある。困難を前に、懸命に生きる人々の姿を描く予測不能のヒューマンエンターテインメント。(https://www.tbs.co.jp/p_train823_tbs/about/)

何気なく、見慣れた駅が出てきたこともぐっときたポイントです笑

「作品」としてのドラマ

ここ数年、というか10年ほど、個人的に心に残るドラマがありませんでした。退屈だなぁ、と思うことが多くて。

本当になにげなく見始めたドラマでしたが「作品」としていいなと、久々に心が動きました。

私にとっての「作品」とは。

例えば、本業でいえば研究プロジェクトそのものが作品です。その集大成である論文もまたひとつの作品です。

映画も一つの作品です。
ポップスや某アイドルのコンサートも一つの作品です。

ミュージカルやバレエ、オーケストラの公演なども、もちろん作品です。

その日のその瞬間にしか見られない、独特の空気感。その日の天気・気温、その日の客層、もっといえば観客の服装によっても音響は変化しますね。

ささいなことのようで、それが役者に与える効果たるや大変に大きいものがあります。それも含めて私にとっては「作品」です。

その日その場所でしか味わえないもの。

ドラマの場合、そんな瞬間性はありませんが、たくさんの人たちのアイデアと才能、意気込みや想いが結集した「作品」であることに変わりはありません。

よい作品としてのドラマは、その日その現場の空気感が缶詰のように詰め込まれています。

食べたいときに開けられる、保存のきく缶詰のようなドラマ。
それが私のいう「作品」としてのドラマです。

グッとくる、2つの好きなところ

ドラマの主な構成要素をあげると、脚本、演出、音楽、キャスティングがあります。
それぞれに、たくさん言いたいことがありますけど、二つだけ。

山田裕貴さんの演技、最高です

主題歌・挿入歌(「TATTOO」Official髭男dism)、最高です

もちろん、メイクさんとか照明さんとかの気概が伝わってくるのも好きですし、一旦現場を離れての映像・音声の再構成にも一貫性があっていいと思います。

ロケ現場の、その日その時にしかない役者さんたちの息遣いがリアルに封入された作品って、気合い入っててほんと好きです。

「二番煎じ」の作品か?

このドラマ、SNS界隈でも話題性があるようで、さまざまな感想がありますね。何かの二番煎じ的な・・という見方も散見しますけれど、まあ「作品」って、そもそもそんなもんじゃないでしょうか。

例えば音楽でいえば、基本のコード進行や構成はだいたい決まっていて、それにリズムとメロディーが乗せられます。もうこれだけ年数が経てば、だいたいのことはやり尽くされているわけですね。オリジナリティなんてそう簡単に出せるものじゃない。

基本のコード進行のなかで、どんな演出をしてどんなふうに魅せることができるのか。それが「作品」の価値だと思います。

現代的にオリジナリティを出そうとすると、音楽の場合だと変拍子を巧みに活用したりあえて不協和音を使ったりと奇をてらうことになるわけですね。(私はあまりそういうものをいいと思う感性がないみたいです)

ドラマに話を戻します。確かに「どこかで観たな」「どこかで聴いたな」という演出や構成はあります。(私は「JIN」を思い出しました)
でも、それで価値が損なわれるかといえば、そうでもないです。

「ありきたり」と思える筋書きでも、どのような色をのせて消費者に何を届けることができるか。それが勝負ではないかと個人的には思うのです。

役者「山田裕貴」について

私は彼のことは今回初めて知りましたので、経歴や背景は存じません。でも、とても印象深い演技をする役者さんだなぁとくぎ付けになりました。

例えば第9話(未来から現代に戻ったあと)で、吉牛をかきこむシーンとか、ヒーロー的な役まわりの白浜優斗(赤楚衛二さん)が絶望したときに漏れ出すふたつ笑いのシーンとか。ほんとにうまいなぁと、ほれぼれします。
すごく抽象的な言い方ですけど、魂で演技している。だから揺さぶられる。そんな感じです。

楽曲「TATTOO」について

Official髭男dismはもともと好きなバンドです。歌唱力はもちろん、楽曲の作り方がいつも天才的だなと思います。

今回何が素晴らしいかというと、このドラマに見事に「かちっ」とはまっているんですね。歌詞もリズムもメロディーも。

音響さん、演出さんの腕ももちろん大きいでしょう。楽曲として売り出されている「TATTOO」と挿入音源とではソフトさが全然違いますよね。場面に応じてミキサーを前にミリ単位で時間をかけて調整した職人の技が感じられるんですね(そういう作業かどうかは知りませんが)。

ドラマは取ってつけたような楽曲になることが多いなか。

「そっけないくらいで僕らはちょうど良いんじゃない?」

このセリフが、現代社会のありようと山田裕貴さんの演技とぴったりくるんですね。もっといえば、電車内の出会いや、日常と非日常の交錯、べったりしないでほどほどの距離でいる方が現代的には楽(SNSの空虚な関係を思わせます)、でもそうとも言い切れないところもある。

誰もが距離置きつつ、愛されたいと願っている。
こんなにアンビバレントな時代って今まであったのでしょうか。

この一言は、現代の日本に生きる、日本人のこころの一端を表現しているようにも思えます。
このドラマは、破壊的な未来を救おうとするストーリーのようですし、やはり息苦しさへの救済がテーマなのかなと思います。最終回が楽しみです。

おわりに

こんなコラボレーションを、日本のドラマ作品で観ることができて僕は幸せです。
最近は韓国ドラマの方が心を持っていかれることが多かったので。

ぐっとくる作品に出会えると、「あぁ、僕もいい作品づくりしよ!」って、元気づけられます。

何かとペンディングしがちな僕ですが、動力を得て、明日もがんばります。


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