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先生への年賀状。いつまで続けるのか悩んだ話。

これまでの人生で

先生に年賀状や暑中見舞いなどを書く機会は

度々あった。


年賀状のやり取りにまつわる思い出を

・小学生の頃
・学生時代、長く続いた先生とのやり取り
・小学校教員になって

以上の3つのライフステージから振り返りたい。



小学生の頃、担任の先生とのやり取り


年賀状にまつわる一番古い記憶は、

小学生の低学年の頃。

当時の担任の先生に

はがきいっぱいの大きな文字で

「あけましておめでとうございます」と書いた。

その年の干支の動物の絵も描いた。

先生からも、元日に届いた。

クラスの全員に準備していたのだろう。


冬休みが終わって新学期に登校すると

先生はその絵を褒めてくれた。


次の学年では、担任が変わった。

新しい担任の先生にも年賀状を書いたけれど

前の学年の先生にもまた出した。

前の学年の先生からは、始業式前くらいにお返事が来た。

「今年も年賀状をくれてありがとう」と書いてあった。

次の年は、もうその先生には出さなかった。

その先生のことは好きなままだったけれど

自分の中で、「終わりどき」な感じがしたから。

先生も、新しい子どもたちと出会っていって

過去が積み重なっていくのは大変だろう。


子ども心ながらに

そんなことを感じたのを覚えている。



学生時代、長く続いた先生とのやりとり


子ども心ながらに、

「先生は忙しいもの」

「クラスは毎年更新されるもの」

「先生は礼儀として返事をくれる」

と思っていた私。

自然と、その年の担任の先生だけに出すようになった。


小学4年生の頃、部活動でミニバスを始めた。

顧問の先生は、県内でも指導力があると有名で

本格的な指導をする熱い先生だった。

練習試合や合宿でいろんな場所に連れて行ってもらった。

すごく先生を慕っていたし、

小学校時代の思い出そのものだった。

小学校を卒業後、中学でもバスケを続けた。

その先生は違う小学校へ異動していった。

年賀状のやり取りが始まった。

中学校3年間、高校3年間、大学4年間

その先生とは長くやりとりが続いた。

大学を卒業して教員採用試験に受かり

自分が先生になれたことも報告した。

就職して4年目、結婚式にも先生を招待した。


ずっとこの繋がりは続いていくものと思っていた。


それなのに、

夫の転勤で数回の転居があったり

喪中を挟んだりする中で

ある年に、もう出すのをやめようと思った。

結局は、小学生の頃感じていた

よく言えば「遠慮」のような感情から。

1年に1回のやり取りを

決して面倒だと思ったわけではなかった。


小学校の教員になって、もらう側の気持ちを知った


退職するまで、

小学校では10数年間働いた。

学級担任として、

クラスの子からたくさんの年賀状をもらった。

ほとんどが、担任をした年の1回のみだったけれど、

中には、翌年も、その翌年もくれる子がいた。

同じ学校にいるときには、

お返事だけでなく、直接その子にお礼の気持ちを伝えた。

今年もくれて嬉しい、

ずっと応援している、

そんな気持ちを伝えたかった。

私が異動しても、異動先の学校に出してくれる子もいた。

自宅の住所を教えて、今でも毎年はがきが届く。


退職した今でも。

もう私は先生じゃないのに。


働いているときよりも、沁みるものがあった。

毎年、その子の成長を

文字からも感じることができる。

シンプルに感動する。


このお便りが、いつか届かなくなることも

どこかでは分かっている。


もらうのは嬉しい。

けれど、プレッシャーをかけないように

私からは出さないようにしている。

くれたものに、最大限の言葉を尽くして返事を書く。

続いたら嬉しいな、って思いながら。



私の先生たちも、同じように思ってくれていたのかな。


続けられるならば、

人との縁は、できるだけ長く

大事にしていきたい。

そんなことをふと思った木曜日の昼下がり。

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