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ぽい人はどこからやってくるのか問題

ぽい人は、消防署のほうから来ました。とか警察署のほうから来ました。みたいなことをよく言う。
そう一見間違えていないようなことを言って近づいてくる。だいたいの人は口がうまい。それは間違いない。

ぽい人はいつも新しいっぽいものを、常に持ってきたがる。この新しいっぽいものが厄介だ。多くの場合それはちょっとネーミングが違うだけで、中身はほぼ同じものだったりする。でもそんなことは、ぽい人たちはどうでもいいのだ。

常にアップデートしている感、最新を追っている感が出ていれば中身なんてそうそう滅多には気にしない。何だそれは!と食いついてくれたら、儲けものなんだから。

僕自身は、軍平ナイトでちゃんと知った横井軍平さんの「枯れた技術の水平思考」の考え方が好きだ。

そこには別に特段新しいものでなくても、新しいものになり得る思考が示されているからだ。新しいものを作り出すのに、何か新しいものを見つける必要性なんてない。掛け合わせやジャンルを越えるだけで、意外と新しい概念なりモノやコトは生まれる。

ぽい人はそんなことはどうでもいい。あまりにも尊大な承認欲求の赴くままに傍若無人を続けるだけに過ぎない。

ぽい人がぽいやつなんだと気づくには、裏側まで回り込まないと分からない。表だけのハリボテで出来ているから裏側はカッスカスだったりする。でもだいたいの場合は表側しか分からないのだから、どうにもこうにもな面がある。みんな表しか見ない。いや表しか見れない。

一番厄介なこと、それはぽい人自身のメンタルだ。彼らは本当に良い行ないをやっていると本気で思っている。だからなかなか面倒だし、いくらエビデンスを出しても自分の論理で何とかしようとする。

そんな論理破綻したものを相手にすることは出来ない。

やっぱりどうしても「見極める力」が必要になってくる。でもそれは本など読んでも見極めることは出来ない。いかに場数を踏むか、いかにいろんな人に会うのかにかかってくる。多少の失敗もあると思う。

ぽい人というのは、それぐらい実は厄介なもので意外と自分たちの周りにもたくさんいるし、僕らもそれに陥ってしまう可能性がある。SNSでのデマの類もそういったことに近しいところもある。

ぽい人は無知に忍び寄ってくるのが上手く、ときに不安を煽ることも上手い。だからこそ本や雑誌からの情報も大事だけど、経験による体験による知識のアップデートも日々やっておく必要がある。

今は映えるに代表されるように、妙に偽ることがSNSのなかでも当たり前のようになっている。だからこそ、本当に「ぽい人」には気をつけないといけない。どこからかの"方向”からいつ現れるか分からない。もう現れているかも知れない。

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