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【読書感想文】 「死」を見つめることでこれからの生活を考える 『夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神』

米津玄師さんの『死神』という曲は、落語の演目である『死神』をモチーフにしていることは音楽ファンの方ならご存知のことでしょう。

その落語『死神』を、僭越せんえつながら要約してみました。

借金まみれの男が自殺しようとしているところに死神が現れ、「病人には死神が憑いている。 枕元にいると助からないが足元にいれば呪文で追い払え、病気から回復できるからそれで稼げる」と教えれ、男が言われた通りにすると名医とあがめられて大儲け。
そして、散財したのち、ある豪商の家に呼ばれて行くと、死神は病人の枕元にいて助かる見込みはありません。
しかし、「病気を治せば大金を払う」と言われて欲に目がくらんだ男は、布団を病人ごと上下逆さまにするという荒技を思いつき、死神を追い払ってしまいます。
それに激怒した死神は男の寿命の蝋燭ろうそくと死ぬはずだった豪商の家の病人の蝋燭ろうそくを取り換えてしまい、男の蝋燭ろうそくは今にも消えそうなほどもの凄く短いものになってしまいました。
そして、死神に「寿命を延ばしたければ新しい蝋燭ろうそくに火を移せば良い」と言われ、男は火を移そうとしますが、焦ってなかなか上手くいきません。
すると死神はその様子を見て、「消えるぞ」と男を煽り、最終的に火は消えてしまいました。

いかがでしょうか。

なかなかシュールで面白いはなしであります。

ちなみに、米津玄師さんの『死神』の歌詞にある

アジャラカモクレン テケレッツのパー

というのは、死神を追い払う時の呪文の言葉で、どうやら元は、明治時代に人気をはくした4代目立川談志が披露していた『郭巨かくきょの釜掘り』という珍妙な芸の文句で、流行語になった言葉であると思われます。

この呪文とサゲ(はなしのオチ)は演じる落語家さんの感性で様々にアレンジされていますので、聴き比べてみると面白いです。

「死」を見つめることでこれからの生活を考えさせられる

本日は、『夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神』(水野敬也 著)をご紹介します。

ある日突然主人公の前に現れたインドの神様・ガネーシャが、夢を叶えるための大切なことを教えてくれる自己啓発エンターテインメント小説の第4弾

余命宣告され死神にかれた主人公が、愛する家族の幸せのためにガネーシャから与えられた課題を実践していく物語。

刊行は2020年です。

この作品のテーマである「死」を見つめることで、自分のこれまでの生き方、これからの生活を考えさせられました。

この世界のあらゆるものの根源がガネーシャの言う通りならば淋しくはない

相変わらず破茶滅茶はちゃめちゃで、時にシュールなガネーシャたちですが、実はとても優しく、その深い教えの数々は目が覚めるような気づきと行動する勇気をもたらしてくれます。

そして、ガネーシャが語るこの世界に存在するものへの概念がいねんは、私にとって、目の前の霧が晴れるような心持ちになるものでした。

見慣れた街並みや電車の窓を流れる景色、家族や友人、道ですれ違う人たち、散歩中の犬にお留守番する猫、行き交う車、挙げたら切りがないこの世界のありとあらゆるものの根源がガネーシャの言う通りならばどんなことがあろうと淋しくはないのです。

事故や災害や病気など不幸と呼ばれるもののほとんどはもしかしたら避けられるかもしれませんが、誰しもこの世界に生まれた限り「死」を避けることは絶対にできません。

その、いつか必ずやって来る大切な誰かを見送る時と、自分がこの世界と別れる時に、私たちは何を想うのでしょう。

自分の思い通りに生きようとも、どんなに頑張って生きても悔やむことはあるだろうけれども、勇気を持って一歩踏み出せばどうにかなったはずの悔いなら残したくはありません。

そして、見送ってくれる誰かを後悔させないように私は生きていきたい。

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P.S.

テーマがデリケートなだけに前作に比べるとかなりガネーシャがマイルドになっています。

前作がスパイシーすぎるというせいもあるのかもしれないですが、この作品はカレーで例えると甘口です

別にカレーに例えなくてもいいのだけど、甘口でも面白いことには変わりありません。

ちなみに、本日1月22日は、1982年に全国の学校給食の統一メニューとしてカレーを提供したことにちなんで「カレーの日」だそうです。


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