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「ワーママの娘」だった私が、大人になった今思うこと

秋といえば栗とか読書とか色々ある。会社員である私には、もうひとつ。来期予算を固める時期。けっこう頭を使う。エクセルをいじる時間が増える。なんとか社長の承認をもらえそうだ。ただもうひとつある。部署の予算に加えて、労働組合の予算も組むのが私の役割だ。

私が労働組合に本気で参加している理由

私は労働組合の役員だ。偉いね、と皮肉っぽく言われる。労働組合ってめんどくさい、仕事が忙しいのになんでそんなことやるんだ、成果の出ないボランティア。ネガティブに捉えている人が社内になんと多いことか。

でも私には、役員をやるモチベーションがある。やりたいのだ。なぜなら、同僚ママたちとその子どもを幸せにしたいから。言葉にするとちょっと偉そうだけど、私は本気だ。現状遠く及んでいないことが悔しい。制度面でも社風の面でも。

私自身は結婚しているが、子どもはいない。つまり当事者ではない。でも、本当に心から願っているのだ、同僚ママとその子どもの幸せを。そう願う背景には、私が子どもだったころの実体験がある。

私はワーママの娘だった

私は生まれたときから「ワーママの娘」だった。

都内の共働き家庭で育った。ママは教師、残業から帰ってきて、さらに家でも丸付けをするほどいそがしい。さらに洗濯も食事の準備も私のお世話もある。父はママより早く帰宅して、掃除だけする。他の家事もやりなさいよと今では思う。でも当時はイクメンなんて言葉はなかったし、きっと父の同僚は皆奥さんにすべて家事を任せていただろう。そう思うと、父も父なりにがんばっていたのかな。

私は今でこそ冷静に当時を振り返っているが、子どものころは辛かった。両親ともに仕事で抱えたストレスを家で発散、怒鳴り声が毎日聞こえた。幼稚園で熱だしたとき、先生が「ご両親と電話が繋がらない」と園長先生に相談していた。私はずっと家に帰れなくてこのまま保健室でひとりなのかな、と怖さと頭痛で震えていた。結局、仲良しだったみおちゃんのお母さんが迎えにきてくれて夜まで看病してくれた。

小学生の頃は、両親としっかり話すことなんてほとんどなかった。少なくとも私からは話しかけれなかった。ママ、すごく忙しそうだったから。学校で嫌なことがあっても話せず、寝たふりをして横になってひとりで泣いた。真っ暗な寝室だったけれど、明るくて眠れなかった。ドアの隙間から光が漏れていたから。隣の部屋ではママが夜遅くまで仕事を片付けていた。そんな頑張るママを助けるために、サプライズでごはんを作ったことがある。ママが喜んでくれると思って、ママが好きなパスタを作った。でも、「台所汚さないで」と怒られた。ありがとうって言って欲しかったな。

いつも怒っている両親が怖かった。だから、私は怒られたらすぐにごめんなさいと言う子になった。ある日、学校の先生がママに電話をかけた。「おにぎりちゃんが今日池に飛び込んで非常に危なかったです」と。ママは私を怒った。私はすぐ謝り、バツとしてお気に入りの筆箱を取り上げられたけれど黙って差し出した。でも、本当は、私じゃない。私はだめとわかっていたから、ひとりで立ち去った。飛び込んだのは、班の私以外の3人。先生の勘違いだ。

中学校には給食がなかった。ママが会社の隣の成城石井で買ってきてくれる深夜割引シール付きの餃子が、次の日の朝私のお弁当箱に入る。でもママの出張中は自分でコンビニのわかめおにぎりを買っていた。ある日るいちゃんのママが、私の分までお弁当作ってくれた。栗きんとんがすごくおいしかった。学校に提出する書類に親のサインが必要だったときは、さえちゃんママが助けてくれた。ママの字をまねてこっそりサインしてくれた。助かったし、悪いことしてる感が思春期の私をわくわくさせた。

お友達のママの温かさに助けられたけれど、でもやっぱり自分のママがよかった。自分のママの代わりなんていなくて、ママ以外の優しさはママの冷たさをカバーできないのだ。

本当に寂しかった。苦しかった。今でも思い出すと胸がきゅっと苦しくなる。

親が忙しすぎると、その子どもの気持ちにまで影響する。それを私は自らの子ども時代を通して学んだ。そんなのだめだ。本当に苦しい。同僚ママたちのお子さんたちには、私みたいに苦しまないでほしい。だから、同僚ママたちは笑ったり子どもの目を見る余裕がある時間の使い方ができないといけないし、仕事でストレスを溜めすぎちゃだめだ。そう強く思って、私は組合代表として積極的に会社に制度提言を行っている。

ワーママの娘はキャリアウーマンになった

でも、ママが働いていてよかったな、と思う。母が働いていたからこそ、私もバリバリ働く女性を目指して進路を選択してきた。というか、働かない選択肢がなかった。ママが働いていたから、私も働くのが当たり前だった。

周りの友達は違った。小学校のとき、まゆかちゃんが「将来は専業主婦になりたい」とスピーチをしていた。大学生のとき、めいちゃんは「婚活婚活。料理教室行って、メイクとネイルに投資しなきゃ」といつも言っていた。東大サッカー部のマネージャーになって、エリートをゲットするために髪をゆるふわに巻いていた。卒業後はとりあえず派遣社員として働いて、彼女は24歳で寿退社した。

私にはその発想すらなかった。専業主婦という概念がなかった。ママが働いていたから。ワーママの娘は、ごく自然に、流れるようにキャリアウーマンの道に進んだ。結果、私は今の日々にとても満足している。仕事というやりがいや、ビジネスマンとしての知識や常識。ひとつ学ぶとそれをすぐアウトプットできて、成果が目に見える。社内のチームワークや、社外の新しい価値観との出会い。悩むこともあるけれど、それも含めて広くて深い。可能性にあふれている。働くって、おもしろい。

ママのおかげで、私もキャリアという世界に来れた。ママが働いていてくれてよかったと思う。

ワーママの娘、大人になって働き方を考える

私は、働いている自分が好きだ。これから挑戦したい仕事もたくさんある。でも、子どもを産みたい。大切なパートナーとの間に、子どもが欲しいと思っている。

子どものころ寂しかった私だからこそ、自分の子どもにはしっかり寄り添いたいと思っている。子どもが一番。一緒に過ごす時間を大切にして、いっぱい褒めてあげて、一緒に笑ったり、苦しいときは一緒に乗り越えたい。

そんなことできるのだろうか。両立、なんて幻想なのではないか。今この社会のなかで、私はそう感じている。もちろん、時短勤務とか男性の育休とか、制度は少しずつ増えている。でもそれらはすべて、働く親目線で作られたものだと思う。子どもからしたら、お母さんのコアタイム中に熱が出てしまうこともあるし、昨日まで休みだったお父さんが明日から急に毎日会社に行って会えなくなるなんてあまりに残酷なんじゃないのかな。

ワーママの娘だった私は、今そんなことを考えている。女性が社会進出してから、まだ3世代分くらいしか経ってない。ワーママさんが当たり前になりつつある令和だけど、ワーママの娘はまだめずらしい。ワーママの娘の意見や気持ちが収集されることはごくまれだ。だから私は、”ワーママの娘 大人になった当事者先輩”として何かしなきゃ、声をあげなきゃ、と今すごく焦っている。同じ思いをするお子さんが増えないでほしいから。

働き方というトピックにおいて、親だけでなくお子さんについてもっと語られるようにならなければいけないと思う。そのために私は、当時の苦しかった記憶を引用しながら労働組合という所属名のもと会社の役員に意見している。


*2023年11月 一部加筆・修正しました


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