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数学や統計学の先に正しさがあると思っていた(1):正しさって、なんだ

ずっと、数学が大嫌いだった。

小学校では分数でしっかりつまずいた。中学校では、あまりに数学の成績が酷すぎて通わされた塾でのおしゃべりが楽しくて成績も上がったものの、高校ではやっぱり赤点を連発。

数学だけじゃなく、物理も化学も苦手で、代わりに国語(現代文)が大好き。朝読書の時間だけでは物足りなくて、授業中も隠れて小説を読んでいた。高校・大学は演劇にどっぷりはまり、心理テストではいつも「右脳(感情)>>>左脳(論理)」だった。

そう、私は典型的な”文系”人間だ。

それなのに、私はいま、”文系”といいつつも数学も統計学も、なんなら物理までバリバリ使う、経済学を学んでいる。

典型的な文系人間である私が、数学や統計学を使ってこの学問を学ぶ最大の理由は、数学や統計学の先に正しさがあると思っていたからだった。

以下、そんな私(博士課程2年)が悩みに悩んだ、正しさというものにまつわる一連のことを3回の記事にわけて、記します。各記事はある程度独立して読めるようになっています。

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大きな大きな勘違い

数学や統計学の手法に従ってしっかりと分析していれば、その先には必ず”正しさ”に辿り着けると思っていた。人によっては、それを”真理”と呼ぶのかもしれない。

経済学は、読んで字の如く、現実の経済現象を理解しようとつとめる学問だ。その経済学のなかでも、特に政策に近い分野を私は勉強している。政策は人々の生活を左右しうるものだから、現実というものをしっかりと説明できなければならないと思った。

けれど、当然、世の中にはまだまだわかっていないこと、解明できていないことが多くあって。現実の経済現象をすべて説明できるような”真の”モデル理論と言い換えてもそんなに語弊はないかもしれない)というものを追い求めるのが、学者の仕事なのだと、思っていた。

そうして、数学的手法や統計学的手法にのっとってしっかりと分析を進めていれば、(何百年先になろうとも)人類はそんなモデルにたどり着くことができるのだ、と思っていた。

そうして、これが大きな勘違いであることに、博士課程2年目も半ばをすぎて、ようやく気付いた。現実のすべてを説明できるようなモデルを目指すということも、数学や統計学の先に”正しさ”があるということも、大きな大きな勘違いだった。

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”正しさ”って、なんだ

その勘違いに気づいたきっかけは、些細なことだった。
いままで”現実”を描写していると信じていた”データ”というものが、加工手法のちょっとした違いで、大きくその装いを変えうることに気づいた。また同時期に、ベイズ統計学というものを学び、その世界の捉え方の大きな違いに、衝撃を受けた。

主観って、なんだよ。そんなもの信じられるかよ。

私は、自分の能力に、脳みそに、自信がなかった。だからこそ、数学や統計学の先にある”正しさ”というものを盲目的に信じていたかった。半ば宗教的に、”正しさ”に向かっていれば、それが自分の価値になるのだ、とすら思っていたかもしれない。だから、大嫌いな数学も耐えた。この先に正しさがあると思ったから。

でも、そうじゃないらしい。

”正しさ”や”真”ってなんだろう。

統計学の歴史を調べ、経済学史の本を読み、考えに考え、悩みに悩んだ。

そうして辿り着いた答えは、単純だった。

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”正しさ”は、自分で選択したり、作り出すもの

語弊を恐れずに言えば、この世の中に”絶対的な正しさ”なんてない。より正確に言えば、この世界の真理(あらゆるもののことわり)は確かに存在していると思うけれど、それを人間がそっくりそのまま知ることができるかというと、答えは否なのだろう。身を持ってこの世界の全てを知ることはできない。

どんなに偉い人が言ったことでも、誰もが正しいと信じているようなものであっても、常識と呼ばれることであっても、絶対的に正しいという保証はない。確かにあるのはあくまで主観的な正しさだ。「私はこう考えて、こう思う」ということだけだ。

偉い学者の言うことも、一介の学生の言うことも、みんな同じ。「私はこう考えて、こう思う」ということだけ。
それに対して人は、「いやいや、君の論理はここが矛盾しているよ」とか「ここに飛躍があるよ」とか「この場合にしか成り立たないことだよね」とか、変に思うところを指摘してくれる。
その指摘に対して、「ごもっとも」と修正したり、「いや、あなたの指摘は的はずれだ」と反論したりする。ただそれだけ。

そうやって、あくまで自分が思う正しさを主張し、その主張の論理性や一般性を他人にチェックしてもらいながら、自分の思う正しさを研ぎ澄ましていく。その過程で、「あ、やっぱ自分間違ってたわ」と思えば、また考え直せばいい。

もちろん、自分の思う正しさは何も一から全部作らないといけないわけじゃなくて、他人の功績の上に乗っかってもいい。その他人の功績が信じられるのだと思うのならば。

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こういうことに気付いて、これまでの世界観が一気に変わってしまった。
そうした変化に伴う、戸惑いや落ち込み、葛藤の話は、また次回に。


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