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お金持ちになっても豪邸を建てたいとは思わない

先日、YouTubeのオススメ動画に唐突に現れた「日本の高級住宅街ランキング」という動画を見ました。

珍しい物件や変な間取り、狭いながらも工夫満点な物件の動画を見るのに一時期ハマっていたからか、そういった動画をオススメされたのだと思います。

Googleさんよ、俺はもう物件紹介チャンネルにはハマってないぞ。

そんなことは置いておいて。

タイトルにある通り、僕は豪邸というものに興味がありません。

お金持ちにはなったことが無いので、お金持ちの気持ちはわかりませんが、
これから30代にかけて起業をし、それが成功したからといって、
お金持ちに仲間入りできたとしても、
豪邸を建てたいなどとは露ほども思わないでしょう。

今はお金が無いのでそんなことを言えているのかもしれませんが…

それでも「車がほしい」「高級時計がほしい」「家を建てたい」といったような欲が無いのです。

そんなことにお金を使うくらいなら、海外国内どちらも、旅行をしまくりたい。

スポーツ観戦三昧な日々を送りたい。

好きなだけ本を買いたい。

旅行、スポーツ、本。

これらを楽しむだけのお金があれば、あとは最低限の生活が出来ればいいと思っています。

この記事では「なぜ家が人の成功の証になるのか」という話をしたいと思います。

若者の車離れと言われてから久しいですが、現在は更に「免許離れ」も進行しているようです。

僕が免許を取れる18歳になったちょうど10年ほど前は、まだ「乗らないけど免許は取る」という人が一定数以上はいたように思います。

「就職のこと考えたら取るだけ取っとけ」という考えです。

今も流石にこの考えは根強いはずですが、
免許を取らないという選択をとる人も増えているそうです。

なにが言いたいかというと、車がステータスであった時代は流れ去りました。

しかし、家は?

衣食住の住。三本柱の1つですから、家は現代の私達にとってはなくてはならない存在ですね。

しかし、それだけでは「家がデカい=成功の証」ということの理由にはなりませんね。

賃貸ではなくマイホーム。
マンションよりも戸建て。
一等地。
豪邸。

なぜ家が私達のステータスで在り続けるのか。

その謎を解くヒントは、資本主義社会にあると思っています。

今では当たり前過ぎて誰もが忘れ去ってしまっているかもしれませんが、
土地は本来誰のものでもありません。

なぜそこに権利が発生して、お金が発生するのか。
それは誰にもハッキリとは説明し難いものがありますね。

その場所に勝手に家を建てて住んではいけない。

そんなの今では当たり前なのかもしれませんが、
よく考えればおかしな話です。

なぜこれがおかしな話なのか、土地や家に権利やお金、許可がいるようになる原初を思い浮かべればわかるはずです。

きっと、最初からルールがあったわけではないでしょう。

最初に権利やお金が何も絡むことなく、
先祖代々、長い間そこに住んでいた人がいたはずです。

そして、ある日いきなりその「未開の地」に誰かが現れ、
市場原理や資本主義といったものが持ち込まれ、
あっと言う間にそうした考えに包摂され、
長い時間をかけて土地や家に値段が付き、権利が生まれることが当たり前になっていった。

これに関しては、会社や金融、契約なんてものも同じで、本当は全て虚構なのですが、僕達は当たり前のようにそれらを信じている。
というよりも信じていないと暮らしていけなくなってしまっていますね。

僕はこのことにとても強烈な違和感を持っていつからか生きています。

「なんで土地や家に値段がついて、住む場所を選ぶ権利を買わないといけないんだ?」

そんな素朴な疑問を素朴なまま終わらせていいと僕は思いません。

いつか生きることや住むこと、家を建てることに何の許可も権利も必要としない世の中に生き、
田舎に小さな村を作り、自給自足、晴耕雨読の生活ができたらいいなあと、ただただ夢想するばかりです。


小野トロ



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