適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話010
僕の人生は逃げの連続だ。
幼稚園ではジャンケンでさえ負けるのが嫌で泣きじゃくって、優しい友達に負けてもらっていたらしい。
小学校では好きだった子に告白できずバレンタインでチョコを貰うことだけを希望に何もしなかった。
中学では学校に行くことから逃げた。
大好きだったサッカーも、レベルが高いチームの練習についていけず、
成長痛を言い訳に辞めた。
高校で付き合った子にも、自分から告白せず粘りに粘って相手からの告白を無理矢理に引き出した。
大学受験では、塾の先生から「もっと上の大学も行けるかもしれない」と言われていたのに、
余力を残して受かると思った大学しか受けなかった。
大学のサークルでは、責任あるポジションやそこに登り詰めること、勝負することから逃げた。
大学時代の恋愛も、告白せずに終わったものがいくつもある。
バイトだって繁忙期に仮病で休んだ。
休学して働いた山小屋バイトも、山の日付近の繁忙期に、体調を崩し下山した。
被災地の復興、町起こしのために働くと誓った場所からも、給与面などを理由に内定を辞退した。
前職からも、バイト、パート、契約社員と登り詰め、正社員という責任ある立場になった途端、それに耐えられなくなった。
そして、転職した職場も3日で辞めた。
覚えているだけでもこれだけある。
僕の人生は逃げの人生だ。
これだけ逃げて背水の陣のはずなのに、
覚悟を持てず、フリーランスで働くことや起業することへの一歩も踏み出せずにいる。
また逃げるのか?
そんな自分の声からも逃げたくなる日々。
もはや八方塞がりだ。
けれど、こうも思う。
逃げて逃げて、逃げ続けて来た人生だけど、
生きている。
死ぬことで全て終わりにしてしまうということはせずに生き続けている。
今回挙げた、人生におけるたくさんの「逃げ」から目を背けず、忘れずにいることが、
もう既に「逃げ」ではなく「挑む」ことになってはいやしないか。
そんなふうにも思う。
もちろん「死の恐怖からも逃げている」という側面もあるかもしれない。
生きたくないけど死にたくない、みたいな中途半端な弱い心の現れかもしれない。
いま、死んでしまいたい、終わりにしてしまいたいと思う瞬間は、素直にある。
けれど、それをせずに生き続けるという、他の人達からしたら「普通」に見えるかもしれないこの営みを、
「挑戦」と呼んで抗い続ける。
それは
「逃げても良いんだよ」
「死に地獄は生還できないけど、生き地獄なら生還できるかもしれない」
という自分自身へのエールになるような、
そんな気がしている。
そして、僕の人生は、逃げの歴史であると同時に、それを忘れずに挑み続けてきた、
反骨の歴史でもある。
逃げてきた現実を受け止め、悔しさとともに死なずに這い上がってきた。
こうして不特定の人に見える形で恥ずかしい「逃げの歴史」を語っていることも立派な挑戦だ、と思いたい。
たまには逃げたことを責めるだけでなく、
逃げても再び挑み続けてきた自分を認めてあげることも必要なのではないか。
いま、心を休めるこの期間は、そのために与えられた時間なのかもしれない。
もちろんそれは、周りの支えがあるからこそであるし、
そこへの感謝は忘れてはいけないけれど。
最後にこれだけ付け加えたい。
上に書いたような「逃げずに生きてきた」みたいなことを言うと、
「自殺=逃げ」みたいな論調に聞こえてしまうと思う。
けれど、僕の考えは決してそうではない。
死は生からの解放という捉え方もできるし、
生き地獄は本当にある。
そして僕は「生きてたら絶対良いことあるから」みたいな考え方が大嫌いだ。
もっと言うと、「生きる=良いこと」「死ぬこと=悪いこと」みたいな考え方も大嫌い。
論理的、合理的に考えて「生きることが正解」だとしても「死んだほうがマシだ」と思える機会なんていくらでもある。
なので、死にたい気持ちが強いけれどその気持ちが周囲からは理解されずツラいという人に対して、嫌な気持ちになってほしくなくて、追記した。
小野トロ
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