教育と軍事の関係の歴史
日本の学校教育がその成り立ちにおいて軍事と強い結びつきがあったことは広く知られていることと思います。
明治維新の頃のお話です。
「富国強兵」ですね。
黒船の来航により欧米の大国の脅威に晒された日本。
それから国を守るためにはまず軍隊を強くしなければならない。
軍隊を強くするためには、優秀な人材を多く作り出す必要がある。
そこで生まれたのが学校教育。というのが雑にまとめた一連の流れとなります。
つまりは学校教育のゴール、仕上げ段階として兵役があった、ということです。
今回は、何故このような流れが生まれていったかについて、日本を飛び出して、もう少し広い視野で、世界史の流れの中でこの「教育と軍事の関係の歴史」を見ていこうと思います。
1.徴兵制(国民皆兵制)の普及
まず見ていく時代は18世紀末。そして最初に取り上げるキーワードは「徴兵制」の普及です。
舞台はフランス。18世紀末のフランスと言えばフランス革命ですよね。
このフランス革命によって、その影響を受けることを恐れた周辺の国はフランスに対して干渉戦争を仕掛けます。
革命における混乱期にあったフランス革命政府はこれを危機と捉え、
各階層への平等な徴兵令を出します。
これにより、革命によって打倒された王家のためではなく、
フランスという国家のため、自分たちの自由にために戦う強い軍隊が出来上がったのです。
今に繋がる「国民国家」の意識形成もこれにより強化されたと言えるでしょう。
そしてそのフランスの敵国であったプロイセン(知らない人はドイツと思ってください)も、このフランスに倣い、国民皆兵制度を整え、軍を強くしました。
2.産業革命がもたらした各国軍隊の増強
そして次に着目するのが19世紀半ば、イギリスから始まった産業革命。さまざまな技術革新によって人々の暮らしが大きく変わった時代ですが、
ここで着目するのは鉄道です。
蒸気機関の発明ですね。
蒸気機関車が走ることによって恩恵を受けたのは、移動する庶民よりも軍事に関わる人たちでした。
人や物資の輸送や軍事作戦において、鉄道の普及は大きな影響を与えるものであったことは想像に難く無いでしょう。
そしてこれがどう徴兵と教育に結びついていくか。
鉄道が都市部だけでなく田舎にまで敷設されると、兵士の動員や予備の兵士を増やしていくことが容易になりますよね。
そうなると一気に各国の兵士の数は増大していくことになります。
こうして各国が競って兵の量を増やしていくと、差がつくのはその質になります。
3.識字率と軍の強さの関係、そして教育へ
上層部しか字が読めず、計算ができない軍隊より、軍の下っ端まで読み書き計算ができる国の方が、強いのは明らかですよね。
フランスでは革命前から下士官にも教育を受けさせていた記録があるようです。
先述のプロイセンでは兵役の前段階である初等教育を世界で初めて義務教育としました。
日本の明治政府はこのプロイセンや後のドイツに学んで国を作っていきました。
大日本帝国憲法もプロイセンに倣っていますし、軍事についても多くをこの国から学びました。
その流れで学校教育も生まれて行ったのです。
日本を第二次大戦の泥沼に陥れた原因の一つである軍部の暴走、そしてその原因である統帥権の独立の起源は、実はこの当時ドイツが同じスタイルを採っていたということがあります。
当時の日本のエリート留学生の行先の約4分の3がドイツであったことからも、それは当然の流れだったのかもしれません。
少し話がそれましたが、次に見ていくのは識字率という指標です。
国民のどれくらいの人が読み書きできるかという数字ですね。
1871年、普仏戦争(プロイセンvsフランス)終結時点での
プロイセンの識字率は93%でした。
対するフランスは80%。
どちらが勝ったかは世界史に詳しくない方でも、
ここまでの話を読まれた方はわかると思います。
この普仏戦争はプロイセンによる、当時複数の国に分かれていたドイツ地方の統一のための戦争の一つで、
この勝利によりプロイセンはドイツ統一を達成し、
なんとフランスのヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言します。
これはめちゃくちゃ屈辱的ですよね。
ドイツとフランスの因縁は、これ以前にも脈々と続いてきたものではありますが、
現代に近い時期で言うと、ナポレオン戦争でフランスはドイツに恨みを買い、
普仏戦争でドイツがやり返した形になり、
その後第一次大戦に敗れたドイツは同じヴェルサイユで莫大な賠償金を課せられ、
その屈辱がヒトラーとナチスを産んだわけですから、
憎しみの連鎖をどう、どこで断ち切るかは現代にも通ずる人類永遠の課題であることを再認する事例と言えます。
また少し話がそれましたが、普仏戦争頃の日本の識字率はおよそ4〜5割であったと言われています。
そしてその後、富国強兵の一環で1900年に義務教育の尋常小学校が無償化され、1904年の日露戦争を迎えるわけですが、
この頃を境に一気に識字率は上がることとなります。
日露戦争後、1910年時点では識字率は95%を超えています。
まあ当然の帰結ですね。
そして、お相手のロシアの当時の識字率はまだ5割ほどであったそうです。
その前の日清戦争(1894)同様に、この識字率の差は、
日本の勝因の一つと言われています。
4.まとめ
ここまで学校教育の成立の背景には軍事的な背景があったことを述べてきましたが、
最後に時計の針を現在まで進めてから、僕の考えを述べていきたいと思います。
学校教育が成立し、普及していった当時は、
「国の強さ=軍隊の強さ」だった。
だから人的資源を強くすることが求められた。
それゆえに学校制度が整備されていき、識字率が上がっていった。
産業革命によって印刷技術が飛躍的に進歩し、新聞の発行数も伸びたのも同時期です。
そして今。
「国の強さ=経済の強さ」に変わった。
けれどそれが変わっただけで、人的資源を強くすることが求められていることには変わりない。
より物理的な戦争に見合った人材を輩出することから、
経済戦争に見合った人材を輩出することに変わっただけ。
戦争がない時代だから平和だ。
それは確かにそうです。
未だに戦争で血を流す人は世界中に多くいます。
イスラエルによるガザ地区の空爆が報じられたばかりですよね。
だから、人々の血が流れない世界、と言うのは当たり前に必要です。
しかし、だからといってそれだけで平和かと言われれば、疑問符が残ります。
国のために軍隊として肉体的に戦う奴隷が、
国の経済のために心をすり減らして精神的に戦う奴隷に変わっただけではないでしょうか。
直接的に戦地に赴いて死ぬことはないとは言え、
国家というシステムが存在し、資本主義がこの世に存在する限りは、
僕たちは「国家の奴隷」しいては「経済世界の奴隷」であることから逃れられないのでしょうか。
そうであるとするならば、国の経済のために教育という営みが日々行われているならば、この日本だけでなく、世界にとって、
それは幸せなことなのでしょうか。
大きくて重いテーマであるし、話を広げていけば、
社会起業家やSDGsの活動をされてる方のことまで、
「どれだけ小手先で足掻いたところで根本を変えないと意味ないよ」
と否定することになってしまうので難しいですが、
僕はこのテーマに挑み続けたいと思います。
何故ならそれが人の「生きづらさ」に繋がっていると思うから。
ご拝読ありがとうございました。
それではまた。
小野トロ
※この記事を書くにあたって大いに参考にさせていただいた本のリンクを貼っておきます。
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