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冬の夜の芭蕉。『閑居の箴(かんきょのしん)』現代語訳

松尾芭蕉の短い文(句を含む)をご紹介します。
『閑居の箴(かんきょのしん)』というタイトルは芭蕉ではなく、後に弟子の支考がつけたものと考えられているようです。「閑居」は世間と離れて静かに住むこと、「箴(もとの意味は「治療に使う針」)」は戒(いまし)めの文章(や、その文体)を指します。でも、内容から戒めというほどのものが読み取れるかどうか・・・。

貞享3年(1686)、現在の年齢の数え方で芭蕉が42歳になる年の作です。

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ああ、自分は面倒くさがりな老人だなあ。ふだんは人が訪ねてくるのもわずらわしく、お会いするのはやめておこう、また人を招くのもやめようと何度も心に誓うのだけれど、月の夜や雪の朝だけは友に会いたくなってしまって、これはどうにもならないなあ。

ものも言わず、ひとりで酒を飲んで、自分の心に問いかけ、自分の心に話しかける。庵(いおり)の戸を押し開けて、雪を眺め、また盃をとる。何かを書きはじめたり、やめてしまったりする。ああ、自分は正気を失った老人だなあ。

〈酒のめばいとど寝られね夜の雪〉 さけのめばいとどねられねよるのゆき
(酒を飲んだのにますます寝られない、そんな雪の夜だ)
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「正気を失った」は、「物ぐるほし」を訳したものですが、孤独のなかで風流に徹する自分を、良い意味も込めて評した言葉のように感じます。「風狂」という言葉を思い出します。

(本文は『松尾芭蕉集2(新編日本古典文学全集71)』小学館1997を使用し、句は読みやすいように表記を一部改めています。また現代語訳は独自のものですが、訳すにあたって同書および『芭蕉文集(新潮日本古典集成新装版)』新潮社2019の訳注を参考にさせていただきました。記して感謝申し上げます)


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