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井の中の蛙だった

 34年も生きていると、失敗だったなぁ、と思うことは山ほどある。
救いようもない失敗もあるが、これは失敗してよかったのではないか、と思うのは“大学受験”だ。

 私は大学受験を2回経験している。1年は地元で浪人を経験した。私は公立の女子校の普通科英語コースという割と珍しい学科に行っていた。
一応進学校だったが正直レベルはそんなに高くない。ただ歴史は長い高校で、大正時代の女学校から続く女子校だった。少子高齢化の波か、私の一つ下の学年からは共学になり、現在は“文武両道”を謳いスポーツにも力を入れているようだ。
 英語コースは学年に1クラスしかなかったので、3年間クラス替えがない。
そして如何せん女子だけの空間なので、面倒な柵があった中学時代に比べて自由に過ごしていた。
 そんな中で、私は割と成績がいい方だった。
入学当初は特に先のことを考えておらず、地元の公立大学にでも行けたらいいかな、なんて思って過ごしていた。

 受験期が迫ると、上京するという友人や他校に通っていた親友も上京するとのことだったので、「え、じゃあ私も」という感じで何となく首都圏の大学を目指すようになった。
当時元彼氏が一歳年上で受験を理由に振られ先に上京していたので、私もさくっと上京して見返したい気持ちがあった気もする。

 はじめての大学模試では大学をいくつか選ばなければならなかったので、適当に名前を知っている大学を選んだ。
結果はボロボロ。
自分は大したことない、と知らされる結果だった。
 その後志望校を絞るも、校内のテストでは上位にいるのに、模試は毎回散々な判定だった。にもかかわらず、「自分は本番には強い方だからどうにかなるだろう」なんて思っていたら、やはりダメだった。
 第一志望校の受験会場の覇気溢れる雰囲気の中、「ああ、私は井の中の蛙だったんだ」と実感し、知らない東京の町を遠回りして帰ったのを覚えている。

 その後地元の予備校で一年間浪人時代を経たが、果敢な時期なのも手伝って勉強だけでなく遊びや恋愛など、多方面に元気よく過ごしていたと思う。
その結果、第一志望はやはりまた受からずだったが、念願の上京は果たすことができた。

 浪人したことにより、大学の同級生は必然的に一歳年下になるわけだが、それが却ってよかった。気の合う人が多かったのだ。
 また、第一志望ではなかったものの、同じ大学にいる人は学力や金銭感覚、家庭環境、価値観などが似通った人が多いのか、地元の中学・高校より更に居心地が良かった。
 社会人になっても殆どの同期は一歳年下なのだが、やはり気が合う人が多かった。新卒で入った会社自体はあまり合わなかったが、同期に恵まれていたのは本当に救いだったと思う。

 “井の中の蛙”経験から周りの人より人生が一年遅れた私だが、大学や就職先で今も付き合いが続く“長年の友”となる人たちに出会えたのは、浪人という時期があったからこそだと今は思える。

#あの失敗があったから

TOP画像/(c)写真AC

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