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ゆずまるオタク年表

初めてnote投稿します。

根っからのアイドルオタクのゆずまるです!

これから、私の、軽かったり重かったり、面白かったりつまらなかったりする、いろ〜〜〜〜〜んな想いを、このnoteにぶちまけていきます。

想いをぶちまけるうえで、私という人物はどういう人間なのか、
いや、どういうオタクなのかをまずは少しでも知っていただけたらと思い、
ここに自己紹介がわりに私のオタク年表を記しておきたいと思います。

ここから、とても長いです。

自己紹介

名前:ゆずまる

生息地:推しのいる世界(男女問わず)
※本当は、日本在住のそこらへんにいるアラサーOL女子

オタクタイプ:普段の生活は典型的ズボラ女子で何をするにも腰は重い。けれどオタ活のときだけテンションぶち上げフッ軽型。
多数の推しを推す(いわゆるDDでいる)ことで、推しの悲しいできごとは別の推しで癒すようにして生命を維持する。

性格:面倒くさいことは嫌なのでとにかく平和に推しを推したい。
好きになったら飽きるまで推しを愛でたい。といいつつ飽きる時は結構早い。出戻りも早い。

オタクの人間関係対応法:最初は自ら絡みにいく。平和主義、とにかく平和に推しについて語り合いたい。
オタク同士揉めたくないけど平和主義すぎるゆえ、当事者間で揉めるくらいなら自らフェードアウトしちゃう。

ここからは、ゆずまるのオタク年表です。

「好き」を知って「好き」に出逢った幼少期

2000年
SPEEDが大好きで、歌番組を見てひたすらSPEEDの歌を歌う。
さらに当時大流行していたモーニング娘。も推し始める。(私は新垣里沙ちゃんが好きでした)

2003年
学校のクラスの周りのモー娘。ブームが去り「私も興味ない振りをしたほうがいいの!?」と、表向きには冷めた様子を見せていたものの、内心はまだモー娘。のことが好きな時期だった。(周りに「モー娘。が好き」って言えない…、もどかしい時期でした。)
そんな時にの櫻井翔のドラマを見て、櫻井くんと嵐に興味を持つ。
V6の岡田准一ファンの母親に連れられて、櫻井くんも出演していた、映画「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」を見に行く。
かっこいい櫻井くんを見て、「櫻井くんめっちゃかっこいい!」と小学生ながら軽率に櫻井くんにFall in Love。この頃の櫻井翔は、ファンの間でも語り継がれるほどの彼史上3本の指に入るほどのビジュアルだった。(弊社調べ)
初めて男性アイドルを好きになり、この時期から嵐を推すようになる。

2004年
嵐がメインパーソナリティを務めた、日本テレビ「24時間テレビ」のコーナーで、相葉雅紀からの手紙に泣いてしまう松本潤を見て、「この人、涙を見せること、あるの!?」と衝撃を受けた。
それまで怖くて嫌いだった松本潤に惚れる。ここで松本担として息をし始め、初めて「担当」という概念が自分の中に生まれた。
24時間テレビの翌々日、地元で開催された嵐のアリーナツアー「いざっ、Now!」に参加。当時まだ人気もなかった嵐のことを、気が狂うくらいに推すようになる。

2008年
嵐がメインパーソナリティを務めた、日本テレビ「24時間テレビ」のコーナーで、出演者に向けた相葉雅紀の眼差しが優しいことに感動し、「この人を好きになったら私は幸せになれる…!」とその一瞬で相葉雅紀に惚れ、人生初のグループ内推し変。相葉担として生きていくこととなる。

2009年
嵐の10周年ライブツアー「5x10」の、8月30日の国立競技場公演へ参加。
7万人収容ながら、アリーナを引き当て、見事に相葉くんからファンサをゲット。たった一瞬のファンサで、一生推しを愛すと、軽率に誓う。推しからのファンサって、何年経っても忘れられないよね。
松潤にはハッピーバースデーのうちわを見せたが、ガンスルーされ、それはそれで彼らしくて私の中で好き度が増した。

離れていく推し、身近な推し

2010年
嵐が国民的アイドルに着々と登りつめ、オタクの総数が増えていく中で、自分の中にどこか寂しい気持ちを抱いていた。
そんな日々の中で、関ジャニ∞がシングル「LIFE〜目の前の向こうへ〜」をテレビ朝日の「MUSIC STATION」で歌っているのを見た。
しかも、それまでの関ジャニ∞の大衆イメージであった「大阪感」が全くない、バチバチにかっこいい、バンド形態での曲だった。
「もしかして、関ジャニ∞って、……かっこいい…?」
そう思い、映像を見始めたのが沼への入り口だった。
いとも簡単に、私は大倉忠義に落ちた。大倉担になったのだった。
最年少ながらいい意味でマイペースで自我を持っている大倉くんのことを尊敬するようになった。
ここから、私の嵐と関ジャニ∞の掛け持ち人生が始まったのである。

2011年
水面下で推していたモー娘。はあまり見なくなって、男性アイドルグループ一筋だった私に、転機が訪れる。AKB48の出現だった。
とはいえ「モー娘。しか勝たん」精神を極めていたので、興味本位で見始めただけだった。はずなのに。あっという間に指原莉乃(以下、さっしー)推しとなった。
2つ隣の市まで、真夏に自転車で往復4時間かけて、CD「ヘビーローテーション」を買いに行くくらいには好きになっていた。
ただ、この頃は大学受験で在宅オタクを極めていた。嵐も関ジャニ∞も当時の受験を控えた自分の心の支えになっていた。
この頃から、関ジャニ∞のコンビは丸倉(倉丸とも呼ぶ。大倉忠義と丸山隆平のコンビ)を推すようになる。
一方で、嵐が、急激に国民的アイドルとなって、日本中に知られていく姿を、受け入れられない自分もいた。
よくある表現だが、「推しが遠くに行ってしまった気がする」、そんな気持ちが自分の中で芽生えてきてしまった。
(今考えるとそんなことはなくて、きっと彼らも目まぐるしく変化する自分達の置かれた状況に、必死に喰らいつくので精一杯の時期だっただろう、と思う。)

2012年
ついに大学進学で上京。
上京して初めての現場は、AKB48の握手会で、さっしーとの初めての握手だった。
当時は握手ブースのカーテンが開かないと本人が見えなくて、自分の番になってカーテンが開き、さっしーの姿が見えた瞬間、嬉しくて大号泣しながら握手したのを覚えている。「泣かないで〜っ!(笑)また来てね。」とさっしーに言われた時は「さっしーのこと、一生推す!」と誓った(チョロい)
そしてもうひとつ。
上京という大きな節目に、私は嵐から担降りして、関ジャニ∞一本で推していくいう決意を固めた。
理由の一つは、嵐というグループが急成長したことで、今までの自分の知ってる嵐と、2012年当時世間から知られていた嵐のギャップに追いつけなくなったこと。
もう一つの理由は、嵐とは似ている一方で、対照的な性質も持ち合わせていた関ジャニ∞への気持ちが、自分の中で大きくなったこと。
関西出身ということもあって、彼らのフレンドリーさは、ファンの隣で寄り添ってくれるような温かみがあった。
母親には「あんた嵐を裏切るんだね」と言われた。
裏切るつもりはなかったが、気持ちが追い付いていけなかった。
関ジャニ∞を追いかけると決めた私は、大学生活を謳歌しながら、必死にバイトをして資金調達し、この年の関ジャニ∞のイベント「∞祭」でようやく初めて生の関ジャニ∞に会えた。「推しって、この世に、存在してた…!」と思えた瞬間だった。
その翌月から始まったライブツアー「8EST」で、人生2度目4年ぶりのグループ内推し変をすることになった。丸山隆平だった。
彼はギャグで周囲を笑わせる太陽みたいな存在で、とても優しい表情や歌声でファンを魅了する人だった。
また、ジャニーズ屈指のファンサマシーンで、非常に多くのファンを幸せにする姿を、8EST公演でこの目で見たのである。
優しいこの人を応援出来たら幸せになれる、そう思った。
のちに、彼は私にとって大きな心の支えになるのであった。
2012年はとにかく濃い一年を過ごした。ここには記しきれないくらいに思い出も増えたが、その分黒歴史も増えた(苦笑)

純粋にひたすら推しを追い求める日々

2014年
嵐が結成15周年、関ジャニ∞が結成10周年の年だった。
嵐の担降り以降も、現場には行かずとも嵐の映像はたまに見ていた。
そんな中、1月放送のHEY!HEY!HEY!での嵐の「Bittersweet」を見て、頭に雷が走った。
嵐が離れたのではなく、私が離れていったのだ、とそこでようやく気づいた。
久しぶりにちゃんと見た嵐5人は、多忙の一山を超えたような、そんな表情に見えた。
その時に、今までの嵐との思い出が走馬灯のように頭の中に流れてきた。
学校で辛い時に嵐の映像を見て元気づけられたこと、母親と一緒にライブに行ったこと、受験期に嵐の曲を聴いて乗り越えたこと。
いつも私を勇気づけて背中を押してくれたのは、紛れもなくこの5人だったと。
「もうこの5人から離れない」そう誓い、嵐に出戻ったのである。
そこからまた、嵐と関ジャニ∞の掛け持ち体制でオタクライフを歩むことになった。

2015年
大学生活最後の年。私は色々あって、関東での就職ではなく、地元新潟での就職を決めた。
「来年からは思うようにオタクができなくなるからオタ活も落ち着くだろう」と思っていた矢先、地元新潟にAKB48の姉妹グループNGT48が誕生することになり、たまたま帰省したタイミングと被ったというのを理由に、お披露目ライブに参加した。早朝から会場に並んじゃったりするくらいには、たまたま行ったとは思えなかったが。(笑)新しく推しメンができた。案の定、地元で就職して以降も、彼女たちを推すことになった。
ジャニーズについても「来年から思うように動けないから今のうちに思う存分楽しもう」と、自身史上最多回数の遠征をした。
ひとりで5大ドームツアーをするくらいに全国各地へ足を運んだ。
卒論の締切が3週間後にもかかわらず、卒論の進捗が1割程度で、危機的状況の中でも、札幌で行われた嵐のJaponismツアーへ遠征をした。(卒論は無事に間に合った。)
後にこのJaponismツアーも、かなり個人的には運命を感じる公演となるのであった。

”茶の間”で推す

2016〜2017年
先述のNGT48は、地域密着型ということもあって、毎月のように専用劇場に車を走らせ、推しから認知をもらうレベルで現場に足を運んでいた。
また、推しはグループ内でも決して知名度が高い方ではなく、実力があるのに自信を持てないタイプだった。
ゆえに、私が現場に足を運びファンがいることを示して、少しでも推しが自信に繋げられたらいいなという思いが、私のアイデンティティにもなっていた。
一方でジャニーズは、物理的距離や精神的にも現場に足を運びづらくなっていた。
それまで嵐と関ジャニ∞命で生きてきた私が、やっとジャニーズから足を洗えそうな程度の茶の間オタクにまで達していた。
"茶の間"に多少憧れを抱いていた部分もあり、「やっと、私も茶の間になる時が来たか。私も茶の間になれるんじゃん♪」と多少安心した。

2018年
足を洗えそうになっていたとはいえ、この年は私のオタク人生の中で、いや、私だけでなくきっと関ジャニ∞の全オタクにとって、最大の激震が走った。それは、渋谷すばるのグループ脱退だった。
誰もが想定外だっただろう。
私が知っている、私の思い出が沢山詰まっている7人の関ジャニ∞が、7人でなくなることが信じられなかった。
アイドルに永遠などないと、思い知らされたニュースであった。
のちに、私の関ジャニ∞への思いも、大きく迷い、大きく変わる出来事であった。
6人の関ジャニ∞のスタートは、きちんとツアー初日の札幌で見届けた。
ここからまた自分も新たに人生がスタートする気持ちだった。
私生活では、私は当時遠距離恋愛をしていた彼氏と婚約することになり、2019年からまた上京することになった。

永遠などないから、推しは推せるときに推せ

2019年
この年は自分の中でも忘れられない一年だったと思う。
まずは年明け早々、NGT48が世間を騒がした。
真相は今でも明らかになっていないが、推しを含めたNGT48全体の露出が激減した。グループとして軌道に乗り始めた頃に舞い込んできたニュースで、私も気が滅入ってしまい、グループを推すことをやめてしまった。
それだけではなく、次々と衝撃的なニュースが入る。
私のオタク人生で三本の指に入るほどの激震が走ったのは、1月末。
2020年末での嵐の活動休止のニュースだった。
アイドルに永遠などないと、去年あれだけ実感したはずなのに。
ずっと小さい頃から見ていた嵐が、お休みするということが想像もできなかった。
次の衝撃は9月だった。
アイドルに永遠などないと、前年、そして、8ヶ月前の年明け1月、の2回も実感したにも関わらず、それでもまだわかっていなかったのだろう。
錦戸亮のグループ脱退もこの年だった。
2年連続は、もう何も言葉が出なかった。
上京して新婚生活を始めたものの、大学時代のようにオタ活をするほどではなかった。周囲の未婚のオタ友はそれなりにオタ活を楽しんでいて、少し羨ましさを感じながらも、自分はもうそっちの世界に戻ることはないと思っていた。
それが盛大な伏線だったのだろう。
嵐や関ジャニ∞を推していた時代のオタ友の影響で、ひょんなことからYouTubeのジャニーズJr.チャンネルを見ることになる。
2015年放送の日本テレビ「お兄ちゃん、ガチャ」というジャニーズJr.が出演していたドラマを、私は2015年当時にリアルタイムで見ていた。そこに出演していた、TravisJapan宮近海斗の存在が気になって、YouTubeのジャニーズJr.チャンネルを見たのである。
私の知っているお兄ちゃんガチャのかっこいい宮近くんとは対照的に、ユニークで面白いキャラの宮近くんと、バキバキにダンスを踊る宮近くんに、衝撃を受けたのである。
Travis JapanのYouTubeを片っ端から見漁り、私はもう戻れなくなっていた。いわゆる、ギャップ落ち、というやつだろう。
先述の2015年、嵐のライブツアー、Japonism。TravisJapanも、このツアーのバックとして出演していたのである。当時は「あの、お兄ちゃんガチャに出ていたあの子がいるダンスが上手いグループ」くらいに思っていたが、後に自担になるのである。
人生、どこで自担に出会っているかわからない。
宮近くんを好きになった直後に、当時まだJr.だったSnowManとSixTONESのCDデビューが発表され、悔しがっているTravisJapanや、何かを悟って覚悟した宮近くんの強い眼差しを見て、私はこの子を推すと、オタクの世界に出戻ったのが2019年夏だった。
「推しは推せるときに推せ」そんな言葉もあるが、この文章のとおりだと思った。彼らTravisJapanがデビューを目指して頑張る今この瞬間は、今しか見られない。そう思い、彼らの成長を見届ける覚悟を決めた。
宮近くんが私にとって最後の推しだと思っていた。
長くなったが、自分はもうガッツリオタクをやる世界に戻ることはないと思っていた、という伏線がここで回収されて、私は盛大に出戻りをしたのである。オタクの言う「最後の推し」は信用ならない!(笑)
ジャニーズJr.のオタクは、嵐や関ジャニ∞のいわゆる"デビュー組"とは違う世界で、何もかもが新鮮だった。

2020年
前年にJr.のオタクに足を踏み入れて以降、毎日が楽しくて充実していた。今思うと、嵐の活動休止や、錦戸くん脱退後の「5人の関ジャニ∞」から目を背けていた部分もあったかもしれない。
だが、大きい意味での世界が変わった。
コロナによって、アイドル業界を含むエンタメが止まってしまった。未曾有の事態に、業界全体で戸惑っていたと思う。
戸惑いながらも、それぞれ試行錯誤して発信してくれているのを感じ、
それがとても嬉しかったし、救われた。
そんな自粛期間に、何気なく見たISLANDTVのAぇ!groupの動画を見て、関西ジャニーズJr.の
Aぇ!group小島健にハマりかけたのである。
今考えると、まさに"試行錯誤をしてできる範囲で発信をする"ことをしていたのがAぇ!groupだったと思う。
5人の関ジャニ∞に目を背けていたかもしれない当時の自分でも、やっぱり何年も関西ジャニーズを推していると関西ジャニーズの匂いを求めていたのか、関西の"あの雰囲気"に惹かれたのである。
とはいえ、ちょうどハマりかけたタイミングで緊急事態宣言も明け、仕事も忙しくなり、推しを増やす余裕はなくなった。
Aぇ!groupにはハマることなくオタクとして生きていくんだな、と思った数ヶ月後。
私はまんまと、Aぇ!groupの佐野晶哉推しになっていた。(8年ぶり3度目のグループ内推し変)
宮近くんが最後の推し、とは一体何だったのか。
そこから、宮近くんと佐野くんの掛け持ち体制で歩んだ2020年下期。
5人の関ジャニ∞に直面できない自分も、
"ようやく5人の関ジャニ∞を消化することを始める"状態になっていた。
嵐の活動休止のタイムリミットも刻一刻と近づいていて、何かあった時に頼れる存在が関ジャニ∞しかいなかったのかもしれない。
何かの間違いで、嵐の活動休止が取りやめにならないかと、微かな希望を抱いたが、その希望も虚しく、嵐は2020年末で活動休止した。

心の支えがいなくなった世界


そして、今年、2021年。

嵐のいない、嵐がお休みしている世界は、何も変わらず、普通に過ぎていく。でも、何かが変わった。

何かあった時の心の支えが、関ジャニ∞しかいなかった。
「相葉くんや松潤は個人仕事があるじゃないか」と言われれば確かにそうだ。でも5人揃ってアイドルをやっている彼らは見ることができない。
「宮近くんと佐野くんだっているじゃん」という言葉には、うまく答えられない。決して、宮近くんや佐野くんなどJr.の推しが劣っているだとか、そういった意味合いではない。
何年も推してきた年上の嵐や関ジャニ∞、最近推し始めた年下のTravis JapanやAぇ!groupは、推す感覚がどこか違っていた。

嵐のいない世界が何事もなく普通に過ぎ去っていく寂しさと、嵐に頼らないと強くいられない自分の弱さを隠すかのように、私には推しが増えていった。
東京Jr.や関西Jr.だけでなく、韓国のサバイバル番組GirlsPlanet999、ジャニーズではない界隈のINIというグループにも手を出し始めた。
もちろんお金と体力の許す限り、ではあるが、「モチベがある時にモチベがある推しを推す」をモットーに日々何とか生きている。
だが、完全に推すことをやめると、大事な瞬間を見逃してしまうかもしれないので、モチベを0にはしない。
「推しは推せるときに推せ」は大前提に、モチベに素直に従って、毎日推しごとをしている。
気変わりが激しいタイプなので、昨日までこの推しが好きだと思っていたのに、翌日には別の推しのモチベが復活していたりする。オタクはよくわからない。

ちなみに、2021年、私の中で"モチベーションが維持された状態"のグループは関ジャニ∞だけだった。
それが、今回私がnoteを開設した理由のひとつでもある。
他のグループや推しにはモチベーションの波があったが、関ジャニ∞と丸山くんだけは、2021年、モチベーションが下がることがなかった。
何故なのか、を掘り下げるのはまた違う記事にしたいので、年表は2021年の10月現時点で終えたいと思う。


というわけで、たらたらと訳の分からない自分年表を記したが、深くつっこんでおきたい部分は、語弊のないようにするためにも、別途記事にしておきたいと思っています。

上記の長ったらしいオタク年表を見てもお分かりのように、典型的なDDで、気にしいで、考え始めると止まらない。そんなめんどくさいオタクが、私、ゆずまるです。

noteを投稿することで、私の中の、推しへの想いを、うまく成仏できたらと思い、ここにnoteを開設します。
そして、もし、同じように、推しに対して何かを考えている誰かがいたら、その考えていることを消化させる手伝いができたらといいなと、勝手ながら思っています。きっとそんな人はいないか……


読んでいただきありがとうございました。

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