マタイの福音書10:24 ~ 33★2021/09/13掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
【御言葉】マタイの福音書10:24 ~ 33
24 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
25 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。
26 だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
《参考》
派遣にあたっての指示(4)
*迫害を前提とした4 つの指示
前回の箇所は、人々からの迫害に備えよとの指示。
この箇所では、迫害が来ることを前提に、4つの指示。
(1)使徒たちは、イエスと同じように人々から拒否される。
人々は、イエスをベルゼブルと呼んだ。ベルゼブルとは、カナン人の神「バアル・ゼブブ」からくる言葉で(2 列1:2)、イエス時代の悪霊のかしらを表した名前。
第二列王記1:2 さてアハジヤはサマリヤにある高殿のらんかんから落ちて病気になったので、使者をつかわし、「行ってエクロンの神バアル・ゼブブに、この病気がなおるかどうかを尋ねよ」と命じた。
イエスと弟子の関係は、師と弟子、主人としもべの関係。師(主人)がベルゼブルと呼ばれるなら、弟子(しもべ)がそれ以上に悪い名で呼ばれるのは当然。
この論法は、ラビ的教授法で「軽いものから重いもの」を推論する。悪い名で呼ばれたら、弟子(しもべ)は、自分も師(主人)と同じようになれたことを感謝するべき。
(2)使徒たちは、迫害の中でも語り続けなければならない。
神に敵対する者が邪魔をしてきても、福音は必ず明るみに出される。イエスの弟子たちは、大胆に福音のメッセージを語るべき。
(3)使徒たちは、人を恐れず、真に恐れるべき方を恐れなさい。
敵にできる最大の悪事は、からだを殺すことだが、魂までは殺せない。真に恐れるべきは「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方」神だけです。
★私たちは、何を恐れているのか。もし、人に対する恐れがあるなら、それを取り除いてくださいと祈ろう。
(4)使徒たちには、神の守りが約束された。
雀は、2 羽が1 アサリオン(二束三文に)で売られていた。そんな取るに足りない雀でさえも、神の許しがなければ地に落ちることはない。雀よりも価値がある私たちを、神が心配されないはずがない。髪の毛の数まで、全て神は知っておられる。
★試練の時、私たちは「この経験を通して、神は私に何を教えようとしておられるのか」と自問自答しよう。
神の守りを確信した人は、人前で大胆に主イエスを告白しよう。
天の法廷でキリストが私たちのためにしてくださる証言は、私たちが人々の前でどうキリストを告白したかにより決まる。(救いに関する教えではなく、救われた人が天においてどんな報酬を受けるかということ)
語るべき時には、大胆に語ることができるように祈ろう。
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